古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

宗像大社のムナカタと諏訪大社のミナカタ

2022年08月31日 11時17分31秒 | Weblog
諏訪大社の御祭神の中に建御名方神(たけみなかたのかみ)がいらっしゃいます。。
「御名方・MINAKATA」と「宗像・MUNAKATA」はよく似ています。
検索しますと、「みなかた」は「むなかた」のなまったものという説もあるようです。
さて、ところで、
https://shinto-jinja.jp/?p=
《Q.建御名方神(タケミナカタ)とは?
<建御名方神 (タケミナカタ)は、国譲りを迫る建御雷神に力勝負で敗れ、諏訪へ追いつめられてしまう国津神です >
建御名方神(タケミナカタ)と建御雷神(タケミカヅチ)
建御名方神が建御雷神の手を握ろうとすると、建御雷神の手は氷柱や剣の刃に変化し、さらに建御名方神の手は、葦の若葉のように握りつぶされてしまいます。
恐れをなした建御名方神は逃げますが、建御雷之男神はこれを信濃の諏訪湖に追いつめて殺そうとします。そこで建御名方神はやむなく、父の大国主神や兄の事代主神の命に背かない、この地の外には出ない、葦原中国を天孫に譲るなどを誓い、ようやく赦されることになります。》

タケミナカタの神は雷の神に負けたことになっています。
(そして、建御名方神(たけみなかたのかみ)は諏訪を出て行かず、閉じこもることになりました。閉じ込められているのであって御祭神といえるのでしょうか?)
≪諏訪大社全体で祀る主祭神は次の2柱(各宮の祭神については各項参照)。両神とも上社・下社で祀られている。 建御名方神(たけみなかたのかみ) 八坂刀売神(やさかとめのかみ)ウィキペディア。だそうですが諏訪大社の公式ホームページにはこの二神は記載されていないそうです。≫

しかし、実際の事件として念頭に置かれている最初のものは、雷に打たれ落馬し長いこと寝込んで結局亡くなった百済王・豊璋と考えています。(そして、天智系)

ミナカタが宗像とすると、高市皇子の母が「宗形」ですから、「ミナカタ」は天武系を表すのだろうと考えますと、話は逆になって天武系を閉じ込める話に変えられたのでしょうか。

話がまとまりませんし、無理かもしれませんが、続けます。


夭折した草壁皇子は高市皇子を天皇でなかったことにするために創られた、と考えました。
長屋王を天皇だったことにすると「729年長屋王の変」は、藤原氏のクーデターになってしまうからです。
そのためには、長屋王の父の高市皇子も天皇だったことにしてはいけません。
そのために、後継者としての草壁皇子を創りました。
草壁皇子・KUSAKABE・K-USA-K-ABE  宇佐-阿倍
草壁皇子には「宇佐・阿倍」が隠されていると思われます。

<ただそうすると、鸕野讃良皇女(うののさららひめみこ)と胸形尼子娘、また元明天皇と御名部皇女も同一人物になってしまい、高市皇子の母が鸕野讃良皇女(うののさららひめみこ・持統天皇)とならなければなりません。
文武天皇と長屋王も同一父母の兄弟でなければならなくなります。>

草壁皇子(くさかべのみこ、くさかべのおうじ)
父:天武天皇
母:皇后鸕野讚良皇女(後の持統天皇)。
妃:阿閇皇女(後の元明天皇)天智天皇の皇女で持統天皇の異母妹である。
子:元正天皇・吉備内親王・文武天皇。  ウィキペディア

高市皇子(たけちのみこ・たけちのおうじ)
父:天武天皇
母:胸形尼子娘(宗形徳善の娘)
妃:御名部皇女(元明天皇の姉) みなべ MINABE―MIN・ABE 
子:長屋王

高市皇子の母は「宗形徳善の娘」でした。そして、鸕野讃良皇女(うののさららひめみこ)でなければなりません。もし高市皇子=草壁皇子ならば、です。
<うののさらら>から二つある「の、ら」をぬけば「うさ」になります。
(草壁皇子、高市皇子の父は天武天皇).

「宇佐」で「宇佐神宮」を思い浮かべますし、「宗像・宗方」で「宗像大社」を思い浮かべます。
もし、宗像大社と宇佐神宮に何らかの因縁があればそして、草壁皇子と高市皇子は同一人物である、可能性はなきにしもあらず、ということで進めます。
あと諏訪との関係は

宇佐神宮と宗像大社で何か一致するものがあるだろうかとさがしていましたら、
宇佐神宮の祭神には宗像三女神が含まれていました。

宇佐神宮と沖津宮・宗像大社と結んだ線と直角三角形になるのは佐太神社でした。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/f7f397d8f20ba2c56960e63017a620e1
⊿佐太神社-宇佐神宮-沖津宮・宗像大社   2015年10月04日

しかし、諏訪大社上社本宮と宗像大社沖津宮の直線と直角になるのは高千穂峰でした。




そして、諏訪大社上社本宮と宗像大社・沖津宮を結びますとその直線は元伊勢を通ります。

△諏訪大社上社本宮-宗像大社・沖津宮-高千穂峰
宗像大社・沖津宮→諏訪大社上社本宮
 ①72°46′58.52″ ②257°23′58.99″ ③755,919.453(m)
宗像大社・沖津宮→高千穂峰
 ①163°32′04.84″ ②343°58′45.92″ ③272,120.028(m)
諏訪大社上社本宮→高千穂峰
 ①237°38′05.40″ ②53°36′29.47″ ③806,544.062(m)

宗像大社・沖津宮での角度
 163°32′04.84″-72°46′58.52″=90°45′06.32″≒90.7518度
諏訪大社上社本宮での角度
 257°23′58.99″-237°38′05.40″=19°45′53.59″≒19.7649度
高千穂峰での角度
 360°-343°58′45.92″+53°36′29.47″=69°37′43.55″≒69.6288度
諏訪大社上社本宮
 北緯35度59分53.42秒 東経138度07分09.83秒
 35°59′53.42″N  138°07′09.83″E
https://maps.gsi.go.jp/#15/35.998172/138.119397/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

宗像大社・沖津宮
北緯34度14分30.58秒、東経130度06分14.34秒
34°14′30.58″N 130°06′14.34″E
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.241561/130.104313/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

高千穂峰
北緯31度53分09.97秒 東経130度55分08.36秒
31°53′09.97″N 130°55′08.36″E
https://maps.gsi.go.jp/#15/31.886213/130.918992/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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