誤って、この前の投稿を消してしまいました。
どうせすぐ消えてしまいますが、再投稿します。
ともかく、神武東征の最後の部分の
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が部下の長髄彦(ナガスネビコ)を殺害し、神武天皇に帰順したというのは、偽りと考えます。
というより、「長屋王の変」の実態を表現していると考えています。
《「長屋王の変」に物部氏が登場しないのは変です。
以前のどこかに登場し . . . 本文を読む
△生駒山-物部守屋墳-長屋王邸跡・東院庭園
△生駒山-聖徳太子御廟所-石上神宮
聖徳太子の子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)の滅亡事件は、長屋王の事件と従来から似ているとされているそうです。
長屋王も聖徳太子のモデルの一人だと考えますから、似ていても不思議はありません。
以前に考えたことはありました。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot- . . . 本文を読む
檜原神社を頂点とする二等辺三角形になりそうです。
長屋王邸は広いですから△檜原神社-長屋王邸跡-長屋王墓が二等辺三角形になる地点はあります。
△檜原神社-長屋王邸跡-長屋王墓
檜原神社→長屋王墓
①307°17′23.06″②127°12′17.03″ ③17,260.657(m)
檜原神社→長屋王邸跡Ⅲ
①343°29′17.58″ ②163°27′28.56″ ③17,188.36 . . . 本文を読む
長屋王墓→若草伽藍跡の延長線を見ました。
何かあるでしょうか。どこに行き着くのか。
檜原神社とやらがありそうです。
周りに大神神社、三輪山、箸墓、があります。
長屋王墓→若草伽藍
①127°07′42.65″ ②307°08′46.20″ ③3,574.407(m)
若草伽藍→檜原神社
①127°14′32.24″ ②307°18′34. . . . 本文を読む
2024年の4月から今年の3月迄休みがほとんどなく、まるでできませんでした。
今年の4月になり週休2日に戻り、再開できるかと思いきや、簡単に再開できず、駄目でした。
とりあえず、若草伽藍の位置が、長屋王関連と関係づけられそうなので、投稿します。
(もしかすると、すでにやっているかもしれません。忘れていること多い。)
法隆寺が焼けたとされるのは 670年(天智9年旧暦4月30日)のことです。
そし . . . 本文を読む
以前は
△大津皇子墓-天智天皇陵-藤原宮跡、阿騎野は直角三角形 2018年09月05日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/e2b318d73089f860c84bea56d39bb64e
天智天皇陵で検討していましたが、やってなさそうなので、高市山でも検討します。
大津皇子は瀧原宮で禊ぎをし、藤原宮で即位をするつもりで阿騎野まで戻ってきましたが、待ち伏 . . . 本文を読む
今までもずいぶんと想像してきました。
相変わらず、まとまりませんし、付け足しのつもりですが、にもならないかもしれませんが、想像ついでです。
△高市山-石見一宮物部神社-宇佐神宮は直角三角形でした。
△高市山-石見一宮物部神社-熱田神宮も直角三角形になります
高市山という名称の山があり、その位置に意味がありそうだ、と言うことは高市天皇(高市皇子は即位していなかった、とされていますが、実は、天皇 . . . 本文を読む
以前やっているものですし、進歩もありませんが、引っ掛かっていることがあり、とりあえずの確認というだけです。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/665e4fc0c237d4fbaca816980b5ad4ea
いわゆる《藤原京》はいつできたのか,についての空想
2018年08月21日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai23 . . . 本文を読む
前回
△春日大社-藤ノ木古墳・法隆寺金堂-談山神社が直角三角形になることをみました。
藤ノ木古墳の二人の被葬者は文武天皇と長屋天皇と考えますから、 藤原氏(天智系)・物部氏の連合が,天武系の文武天皇・長屋天皇を押さえることを意味する直角三角形ではないか、としました。
さて、以前
□東院庭園-石上神宮-聖徳太子御廟所-物部守屋墳
が長方形になっていることをみました。
この長方形は対角線を結ぶと四つ . . . 本文を読む
直角三角形になります。
春日大社-石上神宮-談山神社の直線が,斑鳩の法隆寺・藤ノ木古墳を制御しているということなのではないか。
藤原氏(天智系)・物部氏の連合が,天武系の文武天皇・長屋天皇を押さえることを意味する直角三角形ではないか?
藤ノ木古墳の二人の被葬者は文武天皇と長屋天皇と考えますから。
△藤ノ木古墳-春日大社-談山神社
藤ノ木古墳→春日大社
①54°37′28.5 . . . 本文を読む