以前は
△大津皇子墓-天智天皇陵-藤原宮跡、阿騎野は直角三角形 2018年09月05日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/e2b318d73089f860c84bea56d39bb64e
天智天皇陵で検討していましたが、やってなさそうなので、高市山でも検討します。
大津皇子は瀧原宮で禊ぎをし、藤原宮で即位をするつもりで阿騎野まで戻ってきましたが、待ち伏 . . . 本文を読む
今までもずいぶんと想像してきました。
相変わらず、まとまりませんし、付け足しのつもりですが、にもならないかもしれませんが、想像ついでです。
△高市山-石見一宮物部神社-宇佐神宮は直角三角形でした。
△高市山-石見一宮物部神社-熱田神宮も直角三角形になります
高市山という名称の山があり、その位置に意味がありそうだ、と言うことは高市天皇(高市皇子は即位していなかった、とされていますが、実は、天皇 . . . 本文を読む
以前やっているものですし、進歩もありませんが、引っ掛かっていることがあり、とりあえずの確認というだけです。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/665e4fc0c237d4fbaca816980b5ad4ea
いわゆる《藤原京》はいつできたのか,についての空想
2018年08月21日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai23 . . . 本文を読む
前回
△春日大社-藤ノ木古墳・法隆寺金堂-談山神社が直角三角形になることをみました。
藤ノ木古墳の二人の被葬者は文武天皇と長屋天皇と考えますから、 藤原氏(天智系)・物部氏の連合が,天武系の文武天皇・長屋天皇を押さえることを意味する直角三角形ではないか、としました。
さて、以前
□東院庭園-石上神宮-聖徳太子御廟所-物部守屋墳
が長方形になっていることをみました。
この長方形は対角線を結ぶと四つ . . . 本文を読む
直角三角形になります。
春日大社-石上神宮-談山神社の直線が,斑鳩の法隆寺・藤ノ木古墳を制御しているということなのではないか。
藤原氏(天智系)・物部氏の連合が,天武系の文武天皇・長屋天皇を押さえることを意味する直角三角形ではないか?
藤ノ木古墳の二人の被葬者は文武天皇と長屋天皇と考えますから。
△藤ノ木古墳-春日大社-談山神社
藤ノ木古墳→春日大社
①54°37′28.5 . . . 本文を読む
藤ノ木古墳には二体の成人男性の遺骸が埋葬されていました。
何度も主張していますが、この二体の被葬者を、文武天皇と長屋王(天皇)と考えています。長屋王も天皇だった、と考えています。
そして、崇峻天皇のモデルとします。
モデルは二人です。
崇峻天皇の即位年553年 長屋天皇の即位年724年
724-553=171=19×9 19年は繰り返し
崇峻天皇の崩御年592年 文武天皇の崩御 . . . 本文を読む
崇峻天皇陵も春日大社-談山神社の線上にありそうです。
崇峻天皇は「日本史の中で、臣下により暗殺されたと正史に明記されている唯一の天皇である。」とのことです。
しかし、何度も主張しますが、私の考えでは「崇峻天皇」には「文武天皇と長屋王(天皇)」が投影されていると考えています。
「日本書紀」の崇峻天皇の五年十一月条に「馬子宿禰、群臣を詐めて曰はく、「今日、東国の調を進る。」という。乃ち東漢直駒(やまと . . . 本文を読む
忘れていることも多々あり、進歩がありませんが,ともあれ続けます。
以前もやっておりますが、「729年長屋王の変」で物部氏は登場していないようです。
しかし、おかしい。
物部氏は勝ち組についているはずですから、長屋王の変では藤原氏と協同していなければ変です。
物部連麻呂は藤原宮に留守居役として残ったことにされていますから、平城京で起きた乱には参加できなかった、ことにしたかったのでしょう。
(それ以 . . . 本文を読む
蘇我氏は方墳を造ったそうです。
その他には「出雲国造家」だけが方墳を造るのを許されたそうです。
関裕二氏は「蘇我氏と出雲に関係があるはずだ」、という推測を書かれています。
私の推測でも、スサノヲと卑弥呼臺与(トヨ)の子孫は朝鮮から戻ってきて、出雲にいついていた、ことになっています。
蘇我は「蘇る・我」「よみがえるわれ」で、卑弥呼臺与(トヨ)の復活と重なります。
「神武東征の謎」
出雲神話の裏に隠 . . . 本文を読む
あくまでも空想です。あしからず。
以前にやっているように、
石見一宮物部神社の位置は出雲大社と宇佐神宮の直線上にあります。
なぜ、物部氏の神社がこの位置にあるのでしょうか。
普通に考えると奇妙です。
というのは、この石見一宮物部神社の位置は、卑弥呼臺与(トヨ)の復活を防ぐものに見えます。
「宇佐」は卑弥呼臺与(トヨ)が北九州からスサノヲの元に向かった出発地点です。「因幡の白兎」とは「卑弥呼臺与(ト . . . 本文を読む