藤原宮が本来は飛鳥浄御原宮だったとすると、私の説には都合がいいです。
阿蘇山-藤原宮跡-香取神宮が一直線。
そして藤原宮=飛鳥浄御原宮ならば
阿蘇(アソ・アス)=アスカ(飛鳥浄御原宮)-カ(香取)
という式が、間違いなく成り立ちます。
《「藤原宮」の藤原の意味について》は以前考えたことがありました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/855b65ad68 . . . 本文を読む
私の考えでは、藤原宮遷都が持統8年(694年)というのは、いくらなんでも遅すぎます。
《十二月庚戌朔乙卯、遷居藤原宮》
『12月6日、藤原宮に遷都された。』
唐風の都を造るのならば、白村江の戦いの敗戦後即座にといっていいほど早く実行されるはずです。
敗戦後すぐには唐に攻められたときの防衛を考えたようですが、唐が我が国に攻め込む、という姿勢を見せなかったためでしょうが、我が国は唐との徹底抗戦より . . . 本文を読む
アスカ(飛鳥)-カ(香取)=アス(阿蘇)
阿蘇(アス)=アスカ(藤原宮跡・大和三山)-カ(カを引く・香取)という式が成り立つには、阿蘇山-藤原宮跡・大和三山-香取神宮が一直線であり、
藤原京・藤原宮がアスカであるという条件が必要だと思われます。
というのは、藤原宮跡は本来の飛鳥の地ではないように思われるからです。
しかし、藤原京でいえば、南の方の部分にはアスカが含まれそうです。
とはいえ、藤原宮 . . . 本文を読む
香取神宮-藤原宮跡-阿蘇山火口は一直線か?
香取神宮→藤原宮跡
①251°43′25.76″ ②69°00′04.72″ ③456,523.968(m)
香取神宮→阿蘇山火口
①251°44′26.85″ ②66°23′50.53″ ③929,608.434(m)
藤原宮跡→阿蘇山火口
①249°02′04.44″ ②66°24′49.48″ ③473,084.506(m)
456,523 . . . 本文を読む
以前やったように⊿鹿島神宮-竹島-高千穂峰は直角三角形になっていました。
(その時は、むしろ、竹島の位置に驚いたものでした。)
さて、今回、竹島-高千穂峰をみてみますと、線上に阿蘇山がありました。
阿蘇山火口のようです。
当然、⊿鹿島神宮-竹島-阿蘇山も直角三角形になります。
香取神宮でも、ほぼ同じ結果になる予想ができます。
まず、竹島-阿蘇山火口-高千穂峰は一直線
竹島→高千穂峰
. . . 本文を読む
五社神古墳から住吉大社-藤原宮跡の線上に垂線を降ろしますと、その交点の辺りは「香芝」という地名でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E8%8A%9D%E5%B8%82
市名の由来[編集]
すでに設立されていた四ヶ村組合立香芝中学校から取ったとされ、そもそも「香芝」は鹿嶋神社(下田西)に由来するとされる。
箸墓は桜井市芝にあります。
(現 . . . 本文を読む
白兎神社→香椎宮
①239°21′01.17″ ②57°16′13.76″ ③394,862.975(m)
白兎神社→高市山
①147°15′41.78″ ②328°07′39.13″ ③262,440.998(m)
香椎宮→高市山
①90°15′55.45″ ②273°08′16.89″ ③481,931.317(m)
白兎神社での角度
239°21′01.17″-147°15′41. . . . 本文を読む