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物部村
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伊勢神宮・内宮-出雲大社の直線と東尋坊は直角三角形を構成します。
また、福井市の継体天皇像辺りも直角となります。こちらの方は平城京の朱雀門に直線を引くと、伊勢神宮・内宮-出雲大社の直線とも直角になります。
しかし、東尋坊は、高市山、諏訪大社と直角三角形を構成します。
東尋坊はその他にもありました。
ところで、高市山は伊勢神宮・内宮-出雲大社と直角になっていないのです。
高市山→出雲大社
①308.429度 ②126.755度 ③341.9393km
高市山→伊勢神宮・内宮
①43.6930度 ②224.7495度 ③143.7495km
360-308.429+43.6930=95.264度
95.264度にもなります。
これが直角になるには、だいぶ南にいかなければなりません。
しかし、それでは高市山の位置からすると海の中になってしまいます。
仕方ないことなのか、とずっと考えていたのですが、四国に行けば直角になるところがあることに、やっと気づきました。
高知県立坂本龍馬記念館にしたのは、ちょうど諏訪大社上社本宮-高千穂峰の線上にあるからです。
記念館があるのは偶然でしょう。
その他にも、桂浜の下竜頭岬の神社や、若宮八幡宮、四国遍路の33番目の札所の雪渓寺でも直角といっていいのですが、諏訪大社上社本宮-高千穂峰の線上ではないので、偶然ですが高知県立坂本龍馬記念館にしておきます。
諏訪大社上社本宮-高千穂峰の線は、実はこのところ気にかかっていました。
というのは、この線上に高知があったからです。
我々は高知を「こうち」と読んでいます。ですが「たけち」「たかち」とも読めるのではないでしょうか。
しかも、この線上には「物部村」もあります。
「高知」の地名の由来は、地名由来辞典によると
http://chimei-allguide.com/39/000.html
《高知県は、県庁所在地の名称に由来する。
「高知」の地名は土佐藩山内氏の城下町名に由来するが、「高知」の名は下記の通り、「河中山」から「高智山」「高智」「高知」へと変化したものである。
慶長8年(1603年)、「高知城(元:大高坂山城)」が鏡川と江の口川に囲まれた地にあったことから、山内一豊が入城した際、真如寺の僧「在川」によって、「大高坂山城」から「河中山城(こうちやまじょう)」と改名された。
しかし、この地は洪水が多く、第二代藩主の山内忠義が「河中」の字を嫌ったため、慶長15年(1610年)、竹林寺の僧「空鏡」によって「高智山城」と改名された。
その後、「山」が省略されて「高智(高知)」となり、城下町名も「高知」となった。》
「河中山城(こうちやまじょう)」では洪水が起こるので、改名されたようです。
そこで、竹林寺の僧「空鏡」は「高智山城」と改名したわけです。
残念ながら、「高市皇子(天皇)」とは関係なさそうにみえます。
すると、まったくの偶然ということになります。
(ですが、まだ可能性は残っています)
高知県立坂本龍馬記念館
北緯33度29分47秒、133度34分18秒
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=332947&l=1333418
坂本龍馬記念館→出雲大社
①339.263度 ②158.761度 ③226.8118km
坂本龍馬記念館→伊勢神宮・内宮
①68.9961度 ②250.759度 ③309.5756km
出雲大社→伊勢神宮・内宮
①104.789度 ②287.103度 ③382.864km
坂本龍馬記念館での角度
360-339.263+68.9961=89.7331度
出雲大社での角度
158.761-104.789=53.972度
伊勢神宮・内宮での角度
287.103-250.759=36.344度
辺の比が5:4:3に近い。
asin(0.6)=36.86989764584402
asin(0.8)=53.13010235415599