ひょんなことから、国東半島に両子山(ふたごやま・ふたごさん)・両子寺(ふたごじ)を目にしました。
古事記におけるイザナミ・イザナギが生んだ最後の島・両児島(ふたごのしま)を思い出します。
「両児島」は私の考えでは「竹島」のことです。
【竹島=「ケケ島」=「二ケ島」=「二ヶ島」=「二個島」=両個島=りゃんことう=「両児島」ふたごのしま=リャンコトウ=「Liancourt(Rocks)」】
すると, . . . 本文を読む
「万葉集」最後の歌は「新年の歌」でした。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/ef5216b59befcc84256fbf8387b0ef5f
「万葉集」最後の歌 2013年07月07日
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/0277c237d8c3ef4ab737f7ab678d5283
「万葉集」最初の歌 201 . . . 本文を読む
大伴氏は軍事氏族とされています。
そして、大伴家持が万葉集の編纂に関わっているという説が多いようです。
ですが、単純な疑問ですが、軍事氏族が歌集を編纂するのでしょうか。
武力と歌集って合うのでしょうか。
それとも家持が特別なのでしょうか。
大伴旅人の歌も多いようですし、
万葉集が完成したのはいつなのか、それによって解釈は違ってくるのではないか。
で、私の力では、考えもまとまりませんので、一旦置いと . . . 本文を読む
672年壬申の乱で、大伴連馬来田・吹負は天武天皇(大海人皇子)と結びついたことになっています。
しかし、壬申の乱などなかったと考えています。
では、天武系と大伴氏はいつ結びついたのでしょうか。
私の全くの空想では、何度も書いていますが、初めのその時、大伴氏が存在していたのではないか。
590年頃、前王朝(スサノヲと磐の姫の子孫)と豪族たちが対立し、豪族は出雲もしくは佐太あたりに戻ってきていた高句麗 . . . 本文を読む