古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

加茂岩倉遺跡と出雲大社―伊勢神宮の測地線・再考

2008年01月31日 23時57分41秒 | Weblog
加茂岩倉遺跡は出雲大社と伊勢神宮・内宮の測地線と出雲大社と伊勢神宮・外宮の測地線にはさまれていました。 . . . 本文を読む

元興寺も出雲大社―伊勢神宮・内宮の測地線上にあります

2008年01月29日 18時06分06秒 | Weblog
元興寺(極楽坊)の位置 北緯34度40分40秒、東経135度49分53秒 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=344040&l=1354953 元興寺《ウィキペディア(Wikipedia)》 《元興寺 (がんごうじ)は、奈良市にある、南都七大寺の1つに数えられる寺院。蘇我馬子が飛鳥に建立した、日本最古の本格的仏教寺院である法興寺がその前身である。法興 . . . 本文を読む

前回の修正・聖徳太子御廟所-金堂-長屋王邸跡の直線

2008年01月25日 21時42分17秒 | Weblog
1.聖徳太子御廟所-藤ノ木古墳-長屋王邸跡 2.聖徳太子御廟所-法隆寺金堂-(長屋王邸跡)-元正天皇陵  前回は聖徳太子御廟所、法隆寺金堂、長屋王邸跡は一直線上(同一測地線上)にあるとしました。少し長屋王邸跡を南にしました。そこも長屋王邸だったのではないかと考えました。  これも意味を持っているはずだとは考えますが、長屋王邸跡だと確実に位置づけられているところにすると、聖徳太子御廟所-長屋王邸跡 . . . 本文を読む
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長屋王邸跡・聖徳太子御廟所・法隆寺金堂は一直線上にあります

2008年01月22日 17時20分39秒 | Weblog
B長屋王邸跡、C往馬大社、E飛鳥寺(法興寺)、F法隆寺、G聖徳太子御廟所、 今までと重複する部分がありますが、考え方が微妙に違ってきたかもしれませんので、というより付け加わった部分がありますので、まずそちらを書きます。 長屋王邸跡と他の寺社などの位置関係を検討している理由は長屋王の存在が当時どんなものだったかを知ることができるかもしれないと考えているからです。 当時というのは、文武天皇崩御後 . . . 本文を読む

2008/01/20

2008年01月20日 00時43分52秒 | Weblog
東大寺大仏殿と往馬大社を結んだ線が長屋王邸跡とされるところを通過する図です。もちろんグーグルアース。 前の図よりはっきりしているけれど大丈夫かな。 . . . 本文を読む

東大寺大仏殿-長屋王邸跡-往馬大社は一直線上

2008年01月19日 23時43分39秒 | Weblog
写真はグーグルアースで伊勢神宮・内宮から出雲大社に引いた線を長屋王邸跡とされる処で拡大したものです。これはぼやけていてわかりにくいかもしれませんが、グーグルアースにはきちんと写っています。 往馬大社の位置はグーグルアースでポイントすると 北緯34度40分42秒、東経135度42分14秒ぐらいですし ‘ウォッちず’で建物をクリックすると 北緯34度40分41秒,東経135度42分12秒 その東隣が . . . 本文を読む

長屋王邸跡は出雲大社と伊勢神宮・内宮との測地線上にあります

2008年01月17日 00時33分39秒 | Weblog
 話が前後しますが、ご容赦ください。  話を進めるにあたって確認しておいたほうがいいのではないか、と思えることがでてきました。 (正直に言えば気づかなかっただけですが、長屋王の位置づけにとって重要なことではないかと考えました)  伊勢神宮・内宮と出雲大社を結ぶ直線(測地線)は平城京朱雀大路跡を通ることは、2006・11/14に確認しています。 しかし、どうも長屋王邸跡もこの直線上に乗りそうです . . . 本文を読む
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長屋王邸跡・長屋王墓・往馬大社の三地点を結ぶ三角形

2008年01月14日 14時30分19秒 | Weblog
長屋王邸跡・長屋王墓・往馬大社の三地点を結ぶ三角形は、90度・60度・30度の直角三角形になります。 . . . 本文を読む

B・長屋王邸跡とD・長屋王墓を結んだ直線

2008年01月12日 01時01分16秒 | Weblog
B・長屋王邸跡とD・長屋王墓を結んだ直線はF・法隆寺金堂とも直角三角形を構成するとともに、E飛鳥寺(法興寺)とも直角三角形を構成しています。そして、長屋王邸は現在想定されているよりももっと大きかったのではないでしょうか。 . . . 本文を読む

長屋王も聖徳太子のモデルのようです。

2008年01月08日 19時08分46秒 | Weblog
 前々回の図を説明したいのですが、うまく説明できません。 例えば、前々回の図のB・長屋王邸、D・長屋王墓、F法隆寺金堂を結ぶと直角三角形になりますが、長屋王が法隆寺とどんな関係があるのかがわからなければ意味がありません。関係がないのならただの偶然です。  しかし、山背大兄皇子は法隆寺で一族もろとも自害をしたことになっていますから、山背大兄皇子=長屋王の立場を取るのなら、長屋王と法隆寺は関係があるこ . . . 本文を読む