《若草伽藍(わかくさがらん)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡である。創建時の法隆寺であると考えられることから、創建法隆寺とも呼ばれる。》ウィキペディア
なぜ若草伽藍の位置ではなく、近くに法隆寺が別に建てられたのか、というのが疑問でした。
若草伽藍・創建法隆寺は聖徳太子が建立したとします、ただし、聖徳太子には天武天皇系全体が投影されているものとしました。
そし . . . 本文を読む
天香久山ー耳成山ー若草伽藍跡ー元伊勢・内宮は一直線でした。
そこで、その直線(測地線)と皇大神社(元伊勢・内宮)で直角になる地点を探しました。
宇佐神宮になりそうです。
若草伽藍の位置に,天武系が,創建法隆寺を建てたにしろ、後に天智系(天智天皇は存在しませんが)が、法隆寺を近くに建てました。
そちらの位置でも,また藤ノ木古墳にしろ
△皇大神社(元伊勢・内宮)ー法隆寺(藤ノ木古墳でも)ー藤原宮跡(大 . . . 本文を読む
前回、天香久山山頂ー耳成山山頂ー若草伽藍跡が一直線である、ということを知りました。
しかし、これだけでは、こころもとない、と思い、もっと先があるのではないかと、
天香久山→耳成山→若草伽藍塔心礎の延長線を見ました。
すると、なんと、皇大神社(元伊勢・内宮)に行き着きました。(本日はこれだけです)
以前、焼津神社→熱田神宮の延長線が皇大神社(元伊勢・内宮)に行き着いたときも,びっくりしました。《△ . . . 本文を読む
若草伽藍(わかくさがらん)は、奈良県生駒郡斑鳩町の法隆寺西院伽藍南東部の境内から発見された寺院跡である。創建時の法隆寺であると考えられることから、創建法隆寺とも呼ばれる。(ウィキペディアより)
まず、現在の法隆寺は天武系を蘇らせないために造られた寺、と仮定します。
初めは文武天皇の鎮魂のための寺だったが、長屋王の祟りと考えられた藤原四兄弟の死(実際は天然痘によるもの)が起きたために、天武系 . . . 本文を読む