A高千穂峰、B香取神宮(または鹿島神宮)C竹島、Dソウル、仁川(インチョン)あたり、E鬱陵島(ウルルンド)
△ABCは前回やったものです。
例によってパソコンに初めからインストールされていたアルプスマップでこれを表示してみたところ、アレレとなりました。
仮にD地点を置いてみると、この直角三角形は出雲大社・平城京(朱雀門跡)・伊勢神宮内宮の直線と福井を結んだものと同じ構想のものになりそうに見えます。(ただし、そのときは福井の地点をはっきりと確定できませんでした)
△ABCはもっと大きな直角三角形の一部のようで、それぞれの直角三角形は相似に見えます。
D地点は直線BCの延長線上で、そして、直線ABのA高千穂峰で直角になる直線との交点となります。
そのような地点が、ソウル・仁川(インチョン)あたりに存在することが、推定できます。
意味があるはずだとやってみますが、確かなことだとはいえません。
それにしてもはっきりした直角三角形できそうにみえます。
△ABD、△ABC、△ACDは辺の比が5:4:3の直角三角形になりそうです。
(球面三角形には相似はないそうですが、相似を目指したもののようです)
E・鬱陵島(ウルルンド)は直線B-C-D上にありません。
ですが、今度の直角三角形のD地点は、正確かどうかは別にして、確定できるのではないかと考えます。
香取神宮・竹島の延長線と香取神宮-高千穂峰の直線が高千穂峰で直角となる線の交点はどこでしょうか
《しかし、正確さを期すならば、鹿島神宮、息栖神社からも竹島、高千穂峰に線をスタートさせ、高千穂峰で直角に曲げて見なければなりません。その場合、もしかすると範囲が特定できるかもしれません》
また高千穂峰―汝矣島(ヨイド)―平壌(ピョンヤン)は一直線上にあり、その線と高千穂峰から伊勢神宮(内宮・外宮)や江戸城天守閣、鹿島神宮、香取神宮などへの直線は直角といっていいものでした。
ただ厄介なのは、高千穂峰―伊勢神宮・外宮―江戸城天守閣は一直線になりましたが、その線と高千穂峰―鹿島神宮、高千穂峰―香取神宮は一直線上になかったことでした。(今、想像するに、竹島の存在がそのずれを生んでいたのかもしれません。家康は竹島を無視した?)
高千穂峰→香取神宮
①60.7530度 ②246.122度 ③990.9185km
でしたから、
D地点は高千穂峰から(360+60.7530-90=330.753度)の角度の地点でなければなりません。
厄介ですが、とりあえずグーグルアースで推定したのですが、
北緯37度44分58秒、東経126度45分51秒の地点Xは、ほぼ
①高千穂峰-汝矣島(ヨイド)-平壌(ピョンヤン)の線上にあり
②香取神宮-竹島の直線の延長線上にあり
③香取神宮-高千穂峰の直線と高千穂峰で直角となる線の上になる
と推定します。
ただし、①の条件は不必要かもしれません。
香取神宮→竹島
①283.636度 ②98.4722度 ③787.1321km
香取神宮→X
①283.699度 ②95.4254度 ③1240.731km
竹島→X
①278.644度 ②95.5351度 ③453.5999km
787.1321+453.5999=1240.732・・・1m違い
高千穂峰→X
①330.978度 ②148.602度 ③753.629km
(360+60.7530-90=330.753度)と330.978度は近い。(でも、距離がこれだけ離れていると少しの違いで大きく離れていることもあります。ところがこの角度は高千穂峰→平壌の角度とほとんど同じでした。)
高千穂峰→平壌(ピョンヤン)
①330.979度 ②147.975度 ③921.1187km
X→平壌(ピョンヤン)
①328.607度 ②147.980度 ③167.4897km
753.629+167.4897=921.1187km・・・ピッタンコ
汝矣島(ヨイド)→X
①329.073度 ②148.966度 ③29.92147km
汝矣島(ヨイド)→平壌(ピョンヤン)
①328.768度 ②148.034度 ③197.4107km
167.4897+29.92147=197.41117km・・・0.00047km・・40cm違い
この北緯37度44分58秒、東経126度45分51秒の地点はほぼ条件を満たしています。しかし、それほど正確とはいえないかもしれません。
これらから、どういうことが推測されるかというと、竹島の位置を大和朝廷は重要なものと理解していたようです。それは以前よりもはっきりしてきました。
そして、朝鮮の方々は竹島を、知らなかったか、または無視していたはずです。
以前やったように、《2007・1/21、1/23、9/18、9/21、12/18》
鬱陵島(ウルルンド)の位置は、そのほかの地点との関連がはっきりとした形になっており、竹島よりもはるかに重要な地点だったようです。
ですが、鬱陵島(ウルルンド)は完全に朝鮮の領有に変わったために、朝鮮奪還の呪力に使える位置としては弱くなったと考えられたのではないでしょうか。
そこで、大和朝廷は、朝鮮の人々の知らない、または無視した竹島が重要な位置にあることを知り、古事記に「天の両屋」として載せたのです。
(旧約聖書に相当する古事記の「天の両屋」が竹島ならば、アメリカは竹島については「沈黙した方がいい」と、そのうち気づくはずです)
△ABCは前回やったものです。
例によってパソコンに初めからインストールされていたアルプスマップでこれを表示してみたところ、アレレとなりました。
仮にD地点を置いてみると、この直角三角形は出雲大社・平城京(朱雀門跡)・伊勢神宮内宮の直線と福井を結んだものと同じ構想のものになりそうに見えます。(ただし、そのときは福井の地点をはっきりと確定できませんでした)
△ABCはもっと大きな直角三角形の一部のようで、それぞれの直角三角形は相似に見えます。
D地点は直線BCの延長線上で、そして、直線ABのA高千穂峰で直角になる直線との交点となります。
そのような地点が、ソウル・仁川(インチョン)あたりに存在することが、推定できます。
意味があるはずだとやってみますが、確かなことだとはいえません。
それにしてもはっきりした直角三角形できそうにみえます。
△ABD、△ABC、△ACDは辺の比が5:4:3の直角三角形になりそうです。
(球面三角形には相似はないそうですが、相似を目指したもののようです)
E・鬱陵島(ウルルンド)は直線B-C-D上にありません。
ですが、今度の直角三角形のD地点は、正確かどうかは別にして、確定できるのではないかと考えます。
香取神宮・竹島の延長線と香取神宮-高千穂峰の直線が高千穂峰で直角となる線の交点はどこでしょうか
《しかし、正確さを期すならば、鹿島神宮、息栖神社からも竹島、高千穂峰に線をスタートさせ、高千穂峰で直角に曲げて見なければなりません。その場合、もしかすると範囲が特定できるかもしれません》
また高千穂峰―汝矣島(ヨイド)―平壌(ピョンヤン)は一直線上にあり、その線と高千穂峰から伊勢神宮(内宮・外宮)や江戸城天守閣、鹿島神宮、香取神宮などへの直線は直角といっていいものでした。
ただ厄介なのは、高千穂峰―伊勢神宮・外宮―江戸城天守閣は一直線になりましたが、その線と高千穂峰―鹿島神宮、高千穂峰―香取神宮は一直線上になかったことでした。(今、想像するに、竹島の存在がそのずれを生んでいたのかもしれません。家康は竹島を無視した?)
高千穂峰→香取神宮
①60.7530度 ②246.122度 ③990.9185km
でしたから、
D地点は高千穂峰から(360+60.7530-90=330.753度)の角度の地点でなければなりません。
厄介ですが、とりあえずグーグルアースで推定したのですが、
北緯37度44分58秒、東経126度45分51秒の地点Xは、ほぼ
①高千穂峰-汝矣島(ヨイド)-平壌(ピョンヤン)の線上にあり
②香取神宮-竹島の直線の延長線上にあり
③香取神宮-高千穂峰の直線と高千穂峰で直角となる線の上になる
と推定します。
ただし、①の条件は不必要かもしれません。
香取神宮→竹島
①283.636度 ②98.4722度 ③787.1321km
香取神宮→X
①283.699度 ②95.4254度 ③1240.731km
竹島→X
①278.644度 ②95.5351度 ③453.5999km
787.1321+453.5999=1240.732・・・1m違い
高千穂峰→X
①330.978度 ②148.602度 ③753.629km
(360+60.7530-90=330.753度)と330.978度は近い。(でも、距離がこれだけ離れていると少しの違いで大きく離れていることもあります。ところがこの角度は高千穂峰→平壌の角度とほとんど同じでした。)
高千穂峰→平壌(ピョンヤン)
①330.979度 ②147.975度 ③921.1187km
X→平壌(ピョンヤン)
①328.607度 ②147.980度 ③167.4897km
753.629+167.4897=921.1187km・・・ピッタンコ
汝矣島(ヨイド)→X
①329.073度 ②148.966度 ③29.92147km
汝矣島(ヨイド)→平壌(ピョンヤン)
①328.768度 ②148.034度 ③197.4107km
167.4897+29.92147=197.41117km・・・0.00047km・・40cm違い
この北緯37度44分58秒、東経126度45分51秒の地点はほぼ条件を満たしています。しかし、それほど正確とはいえないかもしれません。
これらから、どういうことが推測されるかというと、竹島の位置を大和朝廷は重要なものと理解していたようです。それは以前よりもはっきりしてきました。
そして、朝鮮の方々は竹島を、知らなかったか、または無視していたはずです。
以前やったように、《2007・1/21、1/23、9/18、9/21、12/18》
鬱陵島(ウルルンド)の位置は、そのほかの地点との関連がはっきりとした形になっており、竹島よりもはるかに重要な地点だったようです。
ですが、鬱陵島(ウルルンド)は完全に朝鮮の領有に変わったために、朝鮮奪還の呪力に使える位置としては弱くなったと考えられたのではないでしょうか。
そこで、大和朝廷は、朝鮮の人々の知らない、または無視した竹島が重要な位置にあることを知り、古事記に「天の両屋」として載せたのです。
(旧約聖書に相当する古事記の「天の両屋」が竹島ならば、アメリカは竹島については「沈黙した方がいい」と、そのうち気づくはずです)