古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

大和朝廷のもっとも恐れた怨霊  源氏物語3

2005年03月31日 00時25分54秒 | Weblog
 さて、最初の設問に戻ります。紫の上は、本当に「火と石の呪縛」で亡くなったのでしょうか。 ≪衰運の萌しは既にあったが、それが現実となったのは、紫上発病(源氏47歳)とその死(源氏51歳)である。  紫上死没は旧八月十四日。葬式は十五日である。八月は酉月で金気正位。さらにその十五日は真正の金気の正位である。紫上の死は金気そのものと見做される。≫     易・五行と源氏の世界・・吉野裕子・・p75 . . . 本文を読む

大和朝廷のもっとも恐れた怨霊  源氏物語2

2005年03月30日 17時41分01秒 | Weblog
 須佐之男命は乱暴者で泣くのも豪快です。 伊邪那岐神(これも須佐之男命の一つの姿です)は伊邪那美神が死んだとき、「御枕方(みまくらへ)に葡匐(はらば)ひ、御足方(みあとへ)に葡匐ひ哭きし時、・・・迦具土神の頸を斬りたまひき。」 また伊邪那岐大神が速須佐之男命に海原を治めよと命じた時、(しつこくいいます。納得しにくいかもしれませんが、同一人物が同じ場所、同じ時に、別々の人物で登場していても、大穴牟遅 . . . 本文を読む

大和朝廷がもっとも恐れた怨霊  源氏物語 1

2005年03月29日 16時11分04秒 | Weblog
 「記・紀」の完成で「火と石の呪縛」、いいかえるとその怨霊の呪縛は消えることはありませんでした。なぜなら源氏物語製作の最大の目的はその女性の怨霊を鎮めることにあったからです。「記・紀」の完成が西暦712年、720年です。源氏物語は西暦1000年ごろにできたとされているようです。その間三百年ほど経過しています。しかし「記・紀」のころよりも源氏物語のときの方が、その女性は畏れられていたかのように見えま . . . 本文を読む

大和朝廷のもっとも恐れた怨霊 5  石の呪縛 2

2005年03月29日 13時57分49秒 | Weblog
 4の赤猪と9の赤猪子の話はつながっているはずです。雄略天皇は‘卑弥呼を殺した≪火と石の呪縛≫’を捨ててしまいました。卑弥呼復活の条件が整えられます。実際に雄略天皇に当たる方(倭王武です)に赤猪子の、このようなエピソ-ドがあったわけではありません。卑弥呼復活には、前王朝の(最後の?)王が卑弥呼を殺した原因を捨て去ったはずだということで創られた物語のはずです。  6は石長比賣が選ばれなかった話です。 . . . 本文を読む

大和朝廷のもっとも恐れた怨霊 4 石の呪縛

2005年03月28日 23時25分30秒 | Weblog
 石の呪縛について書きます。納得しかねる処もあるかもしれませんが、一応書き出します。 1. イザナギが火の神を斬ったとき、石村(いわむら)に血が飛び散る。 2. 黄泉の国で伊邪那美神(イザナミ)が伊邪那岐神(イザナギ)を追いかけてきたとき、伊邪那岐神は千人引きの大きな石で黄泉の国の坂を塞いで、その石を中にして伊邪那美神と向き合って事戸(ことど・離婚のこと)を言い渡した。 3. 天の石屋戸 4. 大 . . . 本文を読む

大和朝廷のもっとも恐れた怨霊 3  火の呪縛 2 

2005年03月28日 18時05分36秒 | Weblog
 3. 古事記上巻・・大国主命(大穴牟遅命)は赤猪と偽られて、火に焼かれた石で殺される。    4. 古事記上巻・・大国主命(葦原色許男命(あしはらしこをのみこと))が須佐之男命に野原に入らせられて火をつけられ周囲が火の海になる。「内はほらほら、外はすぶすぶ」と鼠に教えられて助かる。(葦原色許男命は須佐之男命の元から逃げ出す?とき、須佐之男命は葦原色許男命にこう言います。 「・・高天原に氷椽(ひぎ . . . 本文を読む

大和朝廷のもっとも恐れた怨霊 2・・火の呪縛

2005年03月27日 21時46分42秒 | Weblog
 まず火の呪縛から述べます。私はこれらの呪縛から鑑みて、最後の卑弥呼トヨは火災にあって殺されたと考えました。  1. 古事記上巻・・イザナギ、イザナミは国を生み終えた後、更に神々を生みます。イザナミが火の神・迦具土神を生むことにより病に臥します。そして嘔吐、糞、尿などに神が成ります。 「伊邪那美神(いざなみ)は、火の神を生みしによりて、遂に神避(かむさ)りましき。」              講 . . . 本文を読む

大和朝廷のもっとも恐れた怨霊 1

2005年03月26日 23時02分20秒 | Weblog
 話がごちゃごちゃになりかねないので、これからは次の二つを目標に置きます。  一つはこの怨霊を浮かび上がらせることです。それができれば、何が実際に起きたかは理解できるはずだからです。  もう一つは、大和朝廷の使った哲学的手法を理解することです。これは私には荷が勝ちすぎているのですが、どなたも気付いておられないようなのです。しかし、これを理解しないと、繰り返しの波に飲み込まれてしまいます。これについ . . . 本文を読む

最初の疫病の流行

2005年03月26日 21時30分09秒 | Weblog
 気候が温暖化し、米の生産量も増加し、国の範囲も奴国とは比べようもないほど大きくなりました。  しかしいいことばかり続いたわけではなかったようです。270年代には疫病がはやったはずです。稲に付いてきたウイルスが温暖化に伴い活動を初め、免疫を持たなかった人々はかなりの割合で倒れます。(疫病・稲のウイルス説はテレビで取り上げられたことがあります。もしそれが正しいのなら、このときが最初です。)  この疫 . . . 本文を読む

そのとき日本列島は寒気に包まれていた

2005年03月25日 22時01分09秒 | Weblog
 九州にいた最初の卑弥呼、また九州にいた時の最後の卑弥呼トヨは日の神に仕える‘日巫女’だったかもしれません。しかし卑弥呼トヨが瀬戸内海を渡り、温暖化が始まった時、卑弥呼は‘日巫女’であると同時に‘日御子’になったのです。 人々は卑弥呼トヨを、やはり日の神だと考えます。もちろん偶然が重なっただけです。しかし運命的な偶然です。卑弥呼にはその奇跡的で運命的な偶然が多いはずです。「記・紀」ではそんなことは . . . 本文を読む