酒折宮の位置は何の変哲もない地に見えます。
しかし、そんなわけはありません。
酒折宮から敦賀の気比神宮や丹後の籠(この)神社や出雲大社はほぼ真西なのですが、一直線上にはありませんでした。
そして、それぞれ直角となるところも見当たりません。
ところが、遊び半分で、グーグルアースで白頭山と酒折宮の距離を測ったところ約1150kmとでました。
一連の(白頭山-高千穂峰の距離)と同一のグループになるのかも . . . 本文を読む
「蝦夷既平。自日高見国還之。西南歴常陸。至甲斐国。居于酒折宮。」
景行40年・ヤマトタケルは東国遠征をし、蝦夷を平定し、日高見国より還り、常陸をへて甲斐の国に着きます。そこの酒折宮で夜を過ごします。
ヤマトタケルが上の句を告げると、秉燭者(火ともせるもの・古事記では御火焼之老人)が下の句を継ぎました。
細かいことは省略しますが、問題はこの歌の「日日並べて(かがなべて)」にあると思われます。
. . . 本文を読む
ヤマトタケル=高市皇子の部分が多くあることをみています。
ですから、ヤマトタケルが脚の病が原因で亡くなったとしたならば、それは高市皇子が脚の病が原因で亡くなったことを表していると想像しているわけです。
近・現代史が過去に放り込まれています。
しかも、新たな段階がくるたびに続けられていたはずです。
初め、ヤマトタケルの物語は栄光に満ち溢れたものだったのではないでしょうか。
高市皇子(天 . . . 本文を読む
『皇極三年(644)春正月・・時に軽皇子(孝徳天皇)、患脚(みあしのやまい)して朝(まいりつか)へず。中臣鎌足連、曾(いむさき)より善(うるは)し。』
(日本書紀・岩波文庫・巻四p214)
皇極3年(644)の孝徳天皇(軽皇子)・寵妃阿倍氏・中臣鎌足の姿は
持統3年(689)の草壁皇子・阿閉皇女(元明)・藤原不比等・〈(軽皇子、後の文武天皇)・氷高皇女(元正天皇)〉である、ということは『「隠さ . . . 本文を読む
どうにも、皇位継承のたびごとに争いごとが起きていたようです。
一応次の四つの時期が問題になっています。
①天武天皇崩御時(686)
高市皇子(・持統)と大津皇子の対立
②高市天皇崩御時(696)
軽皇子(文武天皇)への継承
③文武天皇と藤原不比等の対立(706)
不比等・長屋王・(元明、元正)の連立
④長屋王の変(729)
藤原四兄弟のクーデター、聖武天皇擁立
本日はもう一度① . . . 本文を読む
推古36年(628)春3月7日以前の遺言
《「この頃五穀がみのらず、百姓は大いに飢えている。私のために陵(みささぎ)を建てて、厚く葬ってはならぬ。ただ竹田皇子(敏達と推古の皇子)の陵に葬ればよろしい」といい残されていたので、24日、竹田皇子の陵(奈良県高市郡)に葬った。(後に河内国磯長山田陵に改葬)》
(講談社学術文庫・日本書紀・下p118)
推古天皇は先に亡くなった竹田皇子の陵に合葬してく . . . 本文を読む
草壁皇子=高市皇子にすると、当たり前といえば当たり前ですが、状況はまるで違ってきます。
無謀、乱暴な仮定でしょうが、『魏志倭人伝』が見本なら可能性はありうるのですから、試しに考えてみてもいいでしょう。(と、言いわけしておきます。本人は真面目ですが、本気で読まないようにしてください。この仮定は状況と合いそうな部分はありますが、無理そうなところもあります。)
686年天武崩御後に鸕野讚 . . . 本文を読む
しばらくの間、投稿できません。
以上は携帯で投稿しました。
以下はパソコンから。
突然画面が落ちて電源を入れてもうんともすんともいわなくなりました。
これまでも何度か画面が消えたことあったですが、そのたびに再起動が働きました。
今度は再起動しませんでしたし、電源のスイッチを入れてもだめでしたのであきらめました。
ですが、ためしにいろいろな線を抜いて入れなおし、電源のスイッチを押したところ動きだ . . . 本文を読む
高市天皇の時代があったと考えられます。
その場合、当然天武天皇崩御後に高市皇子即位があったはずです。
そうしますと、高市皇子が天武天皇崩御後に即位する場合、高市皇子は天武天皇の皇太子であったとされる草壁皇子《天武と鸕野讚良皇女(うののさららのひめみこ・持統)の子》か、または大津皇子《天武と大田皇女の子》のどちらかの立場でなければおかしいはずです。
なぜ大津皇子を考慮するかといえば、このと . . . 本文を読む
写真の左側の線は諏訪大社上社本宮から伊勢神宮・内宮の直線(測地線)で、右側は諏訪大社上社本宮からピッタリと守屋山の山頂(たぶん。グーグルアースで守屋山と表示されているところです)を通り、伊勢方面(鳥羽市あたり)に向う線です。
諏訪大社上社本宮と守屋山の近いために、守屋山の辺りで少しの違いでも、伊勢にくれば違いは大きくなります。
守屋山の幅がわかりませんが、諏訪大社上社本宮から見 . . . 本文を読む