前回の図の計算・直角三角形を確かめただけです。
大石龍門を直角とする直角三角形
△大石龍門X-桓武天皇陵-聖武天皇陵
△大石龍門X-桓武天皇御母陵-聖武天皇陵
△大石龍門X-桓武天皇陵-恭仁京大極殿址
△大石龍門X-桓武天皇御母陵-恭仁京大極殿址
聖武天皇陵を直角とする直角三角形
△聖武天皇陵-大石龍門X-光仁天皇陵
△聖武天皇陵-恭仁京大極殿址-光仁天皇陵
△大石龍門X-桓武 . . . 本文を読む
初代といえば「神武天皇」ですが、神話ですし、真の初めといえば「卑弥呼臺与(トヨ)」
と考えます。
ただし、一般的には、桓武天皇もしくは父の光仁天皇が初代とされるのではないか、と考えます。
天武天皇系ではありません。
しかし、聖武天皇は文武天皇の御子ということになっていて、天武天皇系ということになっています。
ですから 《聖武天皇が現在に続く天皇家の初代である》なんてことは世迷い言の類いです。
とこ . . . 本文を読む
だからどうなんだ、を続けます。
△百済寺三重塔-天智天皇陵-紫香楽宮跡
百済寺三重塔→天智天皇陵
①4°35′34.13″ ②184°37′05.15″ ③50,547.424(m)
百済寺三重塔→紫香楽宮跡
①35°05′02.62″ ②215°15′59.16″ ③50,890.599(m)
天智天皇陵→紫香楽宮跡
①109°09′07.52″ ②289°18′36.35″ ③26, . . . 本文を読む
大石龍門X→恭仁京大極殿址→聖武天皇陵の延長線をみます。
和歌山県田辺市に行き着きます。
「田辺」というと「藤原不比等」を思い起こします。
藤原不比等は「山科の田辺史大隈(たなべのふひとおおすみ)の家で養育され、史(ふひと)と名づけられた」と藤氏家伝に記されているそうです。
ただし「山科」で京都ですから和歌山とは場所が違います。
しかし、引っかかります。偶然でしょうか。
熊野本宮大社も田辺市になり . . . 本文を読む
△天智天皇陵-恭仁京大極殿址-紫香楽宮跡は正三角形であり、その中心辺りは「大石龍門」という地名です。(最近知った地名です)
意味ありげに思えますので、考えてみました。
「龍」が「蛇」に近いものとすると、または、「龍」が「蛇」を元にしてつくられた架空の生物とすると、八岐大蛇(ヤマタノオロチ・ヤマトのおろち)こと「卑弥呼」を思い浮かべます。
すると「大石」は「岩」と変えられます。
「いわ」は卑弥呼臺与 . . . 本文を読む
だからどうなんだ、が続きます。すみません。
何度もやっていますが、⊿天智天皇陵-恭仁京大極殿址-紫香楽宮跡は正三角形です。
その中心に何があるかもしれない、ということで探してみました。
すると「大石龍門」という意味ありげな地名が現われました。
(次回考えます)
その前に、この正三角形の三辺を底辺とする二等辺三角形をつくります。
天智天皇陵-紫香楽宮跡、
天智天皇陵-恭仁京大極殿址、
紫香楽宮跡 . . . 本文を読む