「倭国大乱」と「卑弥呼の登場」は、それぞれ100年後の247年の争乱と60年後の248年の卑弥呼トヨの登場の事件が移動して、繰り返し記述されてしまったと考えられます。 . . . 本文を読む
まず平壌(ピョンヤン)・白頭山・出雲大社の位置関係を見てみます。
前回の図を見てください。
平壌(ピョンヤン)→白頭山
①30.0724度 ②211.586度 ③384.0995km
出雲大社→白頭山
①332.855度 ②149.971度 ③834.5216km
出雲大社→平壌(ピョンヤン)
①305.389度 ②121.191度 ③733.851km
平壌での角度
121.191- . . . 本文を読む
まだいい加減な図です。恥を忍んでとりあえず。
A那の津・・大津
B太宰府・・倭京
C浮羽・・不破
D瀬高・・瀬田
E中原・・名張
F伊賀屋・・伊賀
G高祖山・・箸墓
H肥前山口・・積殖(つむゑ)の山口
古賀(高良もあるかもしれない)・・・鹿深(かふか・甲賀)
壬申の乱の地名は北九州の地名に比定できると考えます。
ですから、たぶん、磐井の乱に当てはめられると推測します。
まだ全部わかるわけではあり . . . 本文を読む
三重・名張と佐賀・中原が対応するようです。
また、壬申の乱=磐井の乱とした場合の考え方の基は、神話時代の①スサノヲと天照大神の誓約(うけい)・高天原 ②スサノヲの八俣の大蛇退治・出雲③『神武東征』における長髄彦(那賀須泥毘古・登美毘古)との戦い・浪速。これらの三つが247年北九州での戦闘という一つの事象に収斂すると考えることからきています。 . . . 本文を読む