御神島以外は以前検討したことがあります。
今回、グーグルアースの定規の中に「円」が入っていましたので、その機能を使うと、御神島も高千穂峰から同一距離であることが判明しました。
それだけでなく、御神島は高千穂峰の鬼門にあたりました。
また、御神島は熊野本宮大社の真北にあったことは以前やっています。
だからどうなんだと言われますと困りますが、だから御神島であり、当時の測量能力は驚異的であったぐらいしか . . . 本文を読む
『秦氏』について,突飛な思いつきを述べます。思いつきだけです。
隋書倭国伝に「秦王国」が登場したために「秦氏」が誕生したのではないでしょうか。
秦氏はあまりにも広範囲に顔を出しているために、単一氏族ではないと思われている方が多そうです。
「日本の古代において最も多くの人口と広い分布を誇る氏族はなんだろうか。多くの古代史家のみるところ、藤原氏でも蘇我氏でもなく,物部氏でも大伴氏でもない。おそらく渡 . . . 本文を読む
お茶にごし、と思えます。
気多大社の真西は武寧王陵でした。(前回)
また、インチョン湾の真東が気多大社になります。(89°54′26.78″)
そして、△武寧王陵―気多大社―伊勢神宮・内宮
△インチョン湾―気多大社―瀧原宮は直角三角形になります。(気多大社で直角)
さらに、気多大社―インチョン湾の線上に竹島があり、
竹島から武寧王陵・気多大社までの距離は同一と考えていいです。
その他に
秦氏がから . . . 本文を読む
武寧王陵は気多大社の真西です。269°28′24.07″
(ただし、武寧王陵の北緯は北緯36度27分38.94秒、
気多大社の北緯は北緯36度55分33.49秒でだいぶ違っています。
地球が球体だから起きることなんでしょうが、これらが意識された位置関係ならば、大和朝廷は地球が球であることを熟知していたことになります)
伊勢神宮・内宮は気多大社の真南です。180°48′39.84″
ですか . . . 本文を読む
沖ノ島の沖津宮・宗像大社は伊勢神宮・内宮の真西にあります。269°38′47.06″
しかし、伊勢神宮・内宮は沖津宮・宗像大社の真東というわけではありません。
85°54′27.23″
そして、気多大社は伊勢神宮・内宮の真北と言っていいでしょう。0°47′11.13″
また、伊勢神宮・内宮は気多大社の真南でしょう。180°48′39.84″
ですから、△伊勢神宮・内宮-沖津宮・宗像大社-気 . . . 本文を読む
住吉大社→広隆寺を延長すると、氣比神宮を通り気多大社に行くようです。
以前やったことがあるような気がして、自分のブログを検索してみましたら、
やっぱりやっていました。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/eb09e0ee43e9a7e772ce65fa37c0c342
⊿竹島-氣多大社-住吉大社は二等辺三角形 2014年07月13日
そして、広隆寺→住吉大 . . . 本文を読む
「秦氏」のことが気になっていたところ、「ハタ!」と思い当たったことがあります。
「ハカタ」と関係あるのではないでしょうか。
突拍子もないと思われましょうが、私の考え方ですとあり得ます。
「ハカタ」から「カ」を抜くことができるならば「ハタ」になります。
初めの頃に書いているように、隋書倭国伝の阿蘇山はアスカのことだと考えています。
語尾の「カ」が中国人には聞き取れませんでした。
中国語にはない発音だ . . . 本文を読む