熱田神宮は砥鹿神社-伊吹山山頂の線上にはありません。
少しずれています。
そこで、砥鹿神社→熱田神宮の延長線を伊吹山辺りにもっていきます。
そして、砥鹿神社-熱田神宮と同一距離になる地点を探りました。
そうしますと、図形的に、⊿高市山-砥鹿神社-伊吹山三合目辺りは、二等辺三角形になり、高市山-熱田神宮の直線は砥鹿神社-伊吹山三合目辺りの直線と直角にぶつかることになります。
試行錯誤の結果、その地点 . . . 本文を読む
三河国一宮・砥鹿神社,
尾張国三宮・熱田神宮,(一宮は真清田神社)
そしてほとんど歴史から消された高市天皇(皇子)の名前がつく高市山を
結んでみます。
⊿熱田神宮-砥鹿神社-高市山
熱田神宮→砥鹿神社
Ⅰ123°24′10.07″ Ⅱ303°41′48.01″ Ⅲ56,146.723(m)
熱田神宮→高市山
Ⅰ213°35′43.22″ Ⅱ32°52′52.80″ Ⅲ212,573.2 . . . 本文を読む
何を言いたいかといいますと、尾張目子媛には持統(鸕野讃良・うののさらら)が投影・反映されているのではないか、ということなんです。
そうなれば、持統(鸕野讃良・うののさらら)の出身は「尾張」だといえそうです。(それでもまだ三河は捨てがたい所があります)
系図では尾張目子媛は宣化天皇の母ということになっています。
父は継体天皇です。
https://kotobank.jp/word/%E7%9B% . . . 本文を読む
いろは歌の暗号について、「あれ」と思ったことがあり、ちょっと予定を変えて検討します。
いろはにほへ と
ちりぬるをわ か
よたれそつね な
らむうゐのお く
やまけふこえ て
あさきゆめみ し
ゑひもせ す
7番目の字をつなぐと「とかなくてしす」となり、「咎なくて死す」であり、「無実の罪で死ぬ」という暗号ということでした。
無実の罪で死んだのは「柿本人麻呂」のことだという説を昔読んだことがあり . . . 本文を読む
三河に砥鹿(とが)神社があり、三河国一宮でした。
ビックリする名前です。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/157483/meaning/m0u/
とが【×咎/▽科】
1 人から責められたり非難されたりするような行為。あやまち。しくじり。「失敗は彼の―ではない」
2 罰されるべき行為。罪。「盗みの―で捕らえられる」
3 非難されるような欠点。
いろは歌に「とがなく . . . 本文を読む
『大宝二年(702)12月13日持統太上天皇の病が重くなり、12月22日崩御。』
その直前ともいえる9月19日、三河に行幸するための準備として、五国に行宮を造ります。
『702年9月19日伊勢・伊賀・美濃・尾張・三河の五国に行宮を造ります。』
そして、10月3日三河国に行幸するために諸々の神々を鎮め祭ります。
10月10日三河国に行幸します。(出発したのではなく、三河についたことのようです)
そし . . . 本文を読む
大津皇子の母の大田皇女は息長氏の娘と考えました。
すると持統(鸕野讃良・うののさらら)はどの豪族の娘になるのでしょうか。
ちょっと思いつくことがあったので、もう一度整理してみます。
大田皇女と持統(鸕野讃良・うののさらら)の父母は天智天皇と蘇我遠智媛で、父母は同一の全くの姉妹とされています。
しかし、天智天皇は存在しません。
何度も言いますが、天智天皇の娘たちと天武天皇及び天武の皇子たちとの婚姻 . . . 本文を読む
科長神社(しながじんじゃ)に神功皇后の誕生地の伝説があるそうです。
《『式内社調査報告』では「科長→磯長→息長と転じ、息長氏の出である神功皇后の誕生地伝説が生まれたのではないか」》ウィキペディア
以前やった息長陵-道成寺の線上に五社神古墳(ごさしこふん)があり、
五社神古墳は神功皇后陵とされ、神功皇后は
《『日本書紀』では気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)・『古事記』では息長帯比売命(おき . . . 本文を読む