古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

「魏志倭人伝」正始八年(西暦247年)の間違いの追加

2005年05月30日 22時50分46秒 | Weblog
 継体紀と欽明紀を検討する前にもう一度「魏志倭人伝」の最後と最後の一つ前の文章を検討してみようと考えました。 継体紀と欽明紀がジグザグらしいのは、「魏志倭人伝」の間違いどおりに構成されているせいだとしたならば、「魏志倭人伝」の間違いを正確に把握する必要があるからです。 そして、検討した結果、新たなる発見として、陳寿は二つの戦いを一つの戦いと勘違いしたと、気がつきました。  年号が書かれている部分を . . . 本文を読む

磐井の乱の戦闘の場所

2005年05月27日 23時42分58秒 | Weblog
 磐井の乱はいつおきたのか。 書紀にかかれたところによると、継体21年、22年(西暦527、528年)です。  「(継体)二十一年の夏六月の壬辰の朔甲午に、近江毛野臣(あふみのけなのおみ)、衆六万を率て、任那に往きて、新羅に破られし南加羅(ありひしのから)・[口+碌-石]己呑(とくことん)を為復(かへ)し興建てて、任那に合せむとす。是に、筑紫国造(ちくしのくにのみやつこ)磐井、陰(ひそか)に叛逆く . . . 本文を読む

磐井の乱の取っ掛かり

2005年05月24日 21時49分45秒 | Weblog
 継体天皇までは、「魏志倭人伝」の間違い・勘違いのとおり書かれているが、それ以降は、それほどでもないはずだと勝手に思い込んでいました。なぜなら、継体天皇以降は天皇の実在性が信じられているという概説を信じてしまったからです。 しかし、徐々に変だと思いはじめていました。 聖徳太子の虚構性が取りざたされるならば、蘇我氏本家といわれる馬子・蝦夷・入鹿といった面々も虚構を論じられなければなりません。そして、 . . . 本文を読む

藤原不比等と物部連麻呂

2005年05月20日 23時00分37秒 | Weblog
 MISO様トラックバックありがとうございました。  相変わらずトラックバックがどんなものなのかわかっていないのですが、不比等と物部連麻呂のことで関連して考えたことがあり書きます。私には、大友皇子と藤原不比等の関係が、それぞれ天智天皇、中臣鎌足の息子という以外わかりませんでした。ところが中臣鎌足の娘が大友皇子の妾になっていたそうです。  すると、『神武東征』の兄宇迦斯、弟宇迦斯が誰を指しているのか . . . 本文を読む

古事記に清音と濁音の間違いはあるのか

2005年05月17日 23時37分17秒 | Weblog
 さて古事記に濁音と清音の間違いがあるのか、です。 「都」は初めから「ツ」と読まれているとばかり思っていました。≪「カツて」と振り仮名がついている部分もあります。「都邑」(といふ)というのもありました。しかしそれらはほんの少しです。≫  ですから、現在「ツ」と読まれていながら、「ヅ」と読むほうがいいのではないか、というところがあるかどうかです。 そういう部分は一箇所見つかりましたが、もちろん正しい . . . 本文を読む
コメント (2)

日本書紀の濁音と清音の間違いについて 続き

2005年05月15日 22時02分41秒 | Weblog
 「都」はありましたが、残念ながらたった一例だけでした。 巻26・118番「瀰都」(ミヅ・水)「日本書紀の謎を解く・述作者は誰かp108」 飛鳥川 漲(みなぎら)ひつつ 行く水の 間も無くも 思ほゆるかも アスカガハ、ミナギラヒツツ、ユクミヅノ、アヒダモナクモ、オモホユルカモ 阿須箇我播、瀰儺蟻羅(田・比)都々、喩矩瀰都能、阿比娜謨儺倶母 於母保喩屢柯母    たった一例だけでした . . . 本文を読む

日本書紀の濁音と清音の間違い

2005年05月13日 23時40分28秒 | Weblog
たいそうなタイトルですが、私にたいしたことが解るわけではありません。初めにお断りしておきます。 「日本書紀・塗り替えられた古代史の謎」(関裕二氏)を読んでいまして、森博達氏の著作「日本書紀の謎を解く・述作者は誰か」の紹介があり、そこで気になったことがありました。 そこには、日本書紀には、日本語に習熟しない渡来唐人が「日本語の濁音を誤って清音の漢字で写している」部分がある、というふうに書かれていた . . . 本文を読む

鬼について

2005年05月12日 00時00分07秒 | Weblog
 鬼の語源はなんだろうと、ふと考えました。 そして「オンリョウ=御霊=怨霊」ではないかと閃きました。 (ニ)はよく(リ)から変化します。「魏志倭人伝」の都市牛利は、私には筑紫のニギです。 で、オンリョウ→オンニョウ→オンニ→オニと変化したのではないかと、考えたのです。 で、まったくの思いつきですが、例えば、テレビの時代劇でよくあるシーンですが、怪しげな占い師だか山伏が炎の燃え盛るところで、なにやら . . . 本文を読む

前の続き

2005年05月09日 00時04分24秒 | Weblog
 日本人は弁証法を知っていたはずです。{這う虫―蚕―飛鳥}という三変態を記しているのはその証拠のはずです。 しかし、卑弥呼の復活を示す《飛鳥》はすぐさま否定されなければならない事態が待ち受けていたようです。飛鳥は易経では良い卦には見えませんから、飛鳥という表現を与えた時は既に否定しなければならないという事態だったはずです。 弁証法でも、【正・反・合】の‘合’という部分は矛盾を統一した段階ですが、ま . . . 本文を読む

怨霊思想と弁証法

2005年05月06日 23時01分20秒 | Weblog
ちょくちょく考えてきましたがとても私の手に負えるような話しではありません。しかし、どなたも気付いておられないようなので、仕方なく話を進めます。 キリスト教徒が渡来していて、日本の思想に何らかの影響を与えていたとするならば、それはギリシア哲学の弁証法です。 「魏志倭人伝」が逆になっているために「記・紀」は逆に描かれたというのが根底にあります。真実と仮想の対立というふうにもとらえました。そして、例え . . . 本文を読む