古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

名張で直角

2018年10月28日 15時57分09秒 | Weblog
以前もやっている図形ですが、出雲大社-皇大神宮(伊勢神宮・内宮)の直線と伊吹山→熊野本宮大社・高市山の直線が直角に交差するのは名張であることに気づきました。 《しつこいですが、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)→出雲大社の延長線上は百済・武寧王陵、公州(コンジュ)に行きつきます》 また、 △皇大神社(元伊勢・内宮)-高市山-砥鹿神社は正三角形に近く、ぴったりではないにしろ、名張はその(重心・外心・内心・ . . . 本文を読む

△焼津神社-伊吹山-名張・熊野本宮大社・高市山

2018年10月21日 15時43分56秒 | Weblog
なんか堂々巡りで進歩もありませんが、続けます。 意味をつかみかねています。 △砥鹿神社-皇大神社(元伊勢・内宮)-高市山は正三角形で 高市山-伊吹山の直線はその正三角形を二等分しています。 名張(勝手神社など)の位置はその正三角形の内心 五芒星の中心は平城宮近く(秋篠寺あたり) 五芒星は平城宮を中心にした、と考えるべきでしょう。 伊吹山-熊野本宮大社の延長線は高市山に着きます。 . . . 本文を読む

名張を中心とした円と正三角形

2018年10月14日 11時25分58秒 | Weblog
続けていますが、つかみきれていません。 △高市山-砥鹿神社・里宮-皇大神社(元伊勢・内宮)はほぼ正三角形でして、名張がその 中心(内心・垂心など)の位置になりそうです。 名張の勝手神社にしてみましたが、ピッタリとはいきません。 もう少し南側とは思えますが、 ピッタリの正三角形でないのですから、ピッタリの位置はもともと無理です △高市山-砥鹿神社・里宮-皇大神社(元伊勢・内宮) を勝手神社 . . . 本文を読む

三河・名張・その他

2018年10月08日 23時15分11秒 | Weblog
三輪の代わりに三河を設定したとすると 藤原宮は大和三山に囲まれてもいますが、宮の北東60度ぐらいには三輪山があります。 その三輪に違和感があり、新たに三河を設定するとなると、藤原京・藤原宮に対しても違和感があったことになるのではないか。 持統上皇三河行幸が702年で710年平壌京遷都ですし、その遷都の直接のきっかけは文武天皇と藤原不比等のいさかいのはずです。 しかし、702年当時でも藤原宮は居心地 . . . 本文を読む