ずっとやってはいるのですが依然としてはっきり理解できません。
堂々巡りをして、ちっとも進みませんが、しょうもないまま投稿します。
法隆寺や法興寺を考えるとどうしても用明天皇と関連してきます。
用明天皇は最初の構想にはなく、後から挿入されたものと考えてみたのですが、いくらでも後から上書きできるはずですから、その必要はない気がします。
しかし、いかにも後から挿入されたかのような雰囲気を感じます。
・ . . . 本文を読む
前回のものに和田神社を加えます。
明石に拒絶された卑弥呼・臺与(とよ)は、和田神社あたりの和田岬の粗末な小屋で第一子を産んでいるはずです。
阿武山古墳の被葬者は豊璋であり、中臣鎌足のモデルでもあります。
安土山は、信長以前に、白村江の敗戦後、豊璋が居住していたと考えています。どこから攻められても、見渡せるために、逃亡しやすいと考えたはずです。
阿武山古墳-安土城跡-元伊勢内宮(皇大神社)-和田神 . . . 本文を読む
似ていることは以前もやっていました。。どうも忘れっぽくなっています。
阿武山古墳の被葬者は百済王・豊璋と考えていますが、中臣鎌足という方もいます。(鎌足は架空の存在のはず)
また、談山神社の祭神は中臣鎌足です。
ということで、豊璋にしろ、鎌足にしろ、二つの位置には何らかの関係がみられるはずです。
そこで、阿武山古墳と談山神社と諏訪と元伊勢の位置を見ました。
(諏訪と阿武山古墳の直線は以前検討し . . . 本文を読む
まだ、まとまってはいませんが、ちょっとひらめきましたので投稿します。
日本書紀には「法隆寺」と表記されて登場するのは、一ヶ所だけです。
(ただし、斑鳩寺の火災が、669年・天智8年冬に起きていて、この斑鳩寺は法隆寺と解釈されているようです。斑鳩寺が登場するのは3件。しかし、本当に、斑鳩寺は法隆寺でしょうか)
http://www.j-texts.com/jodai/shoki27.html
《天 . . . 本文を読む
出雲大社と氣多大社の両方と直角二等辺三角形をつくるのは聖徳太子御廟所になります。
天武・高市系は、朝鮮から出雲を経て飛鳥に復帰したものと考えています。
また、天武及び百済王豊璋は、白村江の敗北から竹島を経て、能登半島の気多大社辺りにたどり着き、そこから飛鳥に舞い戻った、と考えています。
藤の木古墳の被葬者は文武天皇、後に長屋王を埋葬していますから、それを監視している法隆寺は天武系を祀ってい . . . 本文を読む
同じことを繰り返しやっているような気がします。 ちょっと進んでいるような気もしますが、そうでもないないかもしれません。ご容赦のほど。
高市山は、高千穂峰より多くの場所と関連付けられているようです。
以前から書いていますように、高市山がもともとの高千穂峰に設定されていたのではないかと考えてきました。(また、熊野本宮大社に比較しうる設定もありえます)
どんどん増えてきています。
例えば、高市山と直角 . . . 本文を読む
前回の三つの直角三角形は直角二等辺三角形に近いにもかかわらず、そうとはいえません。底角45度、頂角90度とはちょっと違っています。
⊿高市山-氣多大社-鹿島神宮
⊿高市山-焼津神社-氣多大社
⊿氣多大社-焼津神社-鹿島神宮
しかし、極めて似ています。
90度、48~47度、42~43度という感じです。
実は以前からこの形が良く見受けられました。
以前やったもので、直角二等辺三角形にならないの . . . 本文を読む
見るからに合同の直角三角形が三つできそうです。(やっていないと思うんですが・・)
ですが、近づくと、高市山-焼津神社-鹿島神宮・香取神宮・息栖神社は一直線になりません。
高市山-鹿島神宮の直線と焼津神社は1000mほど離れています。
高市山は天武系で鹿島神宮は天智・藤原氏系なのでしょうが、焼津神社はヤマトタケルですので、東国における、もっと以前からのいきさつがあってもおかしくありません。 . . . 本文を読む