「三河」の地名は「三輪」から創られたのではないか、と前回推測しました。
推測が正しいとすると、それを裏付けるものがあるはずです。
位置関係でみると
皇大神宮(伊勢神宮・内宮)から三輪・大神神社の距離と
皇大神宮(伊勢神宮・内宮)から砥鹿神社・奥宮までの距離が似ていそうです。
△皇大神宮(伊勢神宮・内宮)-砥鹿神社・奥宮-大神神社
皇大神宮(伊勢神宮・内宮)→砥鹿神社・奥宮
①51°43′14. . . . 本文を読む
702年持統上皇三河行幸があったとされています。
以前、考えたことがありました。
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/3f19b23f95bb37da1faba3183f4e271b
持統上皇三河行幸について 2016年08月17日
なぜ「三河行幸」なのだろうかというのが、結局、どなたにもはっきりとわからないことのようです。
私も、三河が生まれ故郷だった . . . 本文を読む
斉明天皇陵〈大田皇后陵〉の真北に上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社の大田神社がありました。
では、東はというと、皇大神宮(伊勢神宮・内宮)でした。
そして、南は熊野本宮大社でした。
とりあえず、形を見ます。無理かもしれませんが、意味は後で考えましょう。
△斉明天皇陵〈大田皇后陵〉ー大田神社ー皇大神宮(伊勢神宮・内宮)
斉明天皇陵〈大田皇后陵〉→大田神社
①359°15′2 . . . 本文を読む
斉明天皇陵とされる小市岡上陵(をちのをかのうへのみさざき・越智崗上陵)は大田皇后陵と考えます。
また、京都に上賀茂神社(賀茂別雷神社)の摂社に大田神社がありますが、斉明天皇陵の真北にあたっていました。
斉明天皇陵〈大田皇后陵〉→大田神社
①359°15′27.45″ ②179°15′07.97″ ③66,808.635(m)
(この南北の線上に流れている川が、途中からですが、曽我川と名づけられて . . . 本文を読む
大田々根子は大物主神の子孫で三輪氏や賀茂氏の始祖とされています。
そして、大田皇后と大田々根子の「大田」は関連するのではないか、と考えました。
すなわち大田々根子は大物主神の子孫ですから、大田皇后もそうされていたのではないか。
https://kotobank.jp/word/大田田根子-1060552
大田田根子
『古事記』『日本書紀』の伝承にみえる人物で,三輪山(桜井市)の神である大物主神の . . . 本文を読む
しつこく主張しますが、もともとは天智天皇に比されている方は白村江の戦いの戦犯として創られた,と考えています。
すると、667年当時、天武天皇が責任者で、天皇位(天皇の名称がなかったならば、それに匹敵する地位)にあったとすると、そのとき亡くなった正妃・大田皇女(皇女ではないのですが)は大田皇后であったはずです。
とすると、斉明天皇陵とされる小市岡上陵(をちのをかのうへのみさざき)は大田皇后陵であった . . . 本文を読む
阿騎野-藤原宮跡-大津皇子墓は一直線といっていいです。。
そして、
△阿騎野-大津皇子墓-天智天皇陵と
△藤原宮跡-大津皇子墓-天智天皇陵は直角三角形になっています。
また、△瀧原宮-大津皇子墓-天智天皇陵も直角三角形になりそうです。
皇太子であった大津皇子は即位のための禊ぎとして,姉のいる伊勢に行った,と考えていますが,この図からすると、その伊勢とは現在の伊勢皇大神宮(伊勢神宮・内 . . . 本文を読む