古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

『神武東征』図 再考Ⅱ

2007年08月28日 14時33分03秒 | Weblog
A出雲大社 B福岡・香椎宮 C日向・立磐神社 D新宮・熊野速玉神社 E東大阪・日下神社 前回の図はA・C・Dの二等辺三角形でした。 今回は、そこにB・Eを加えます。 福岡・香椎宮 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=333913&l=1302709 東大阪・日下神社 http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx . . . 本文を読む

『神武東征』図 再考

2007年08月24日 23時50分27秒 | Weblog
出雲大社・立磐神社・新宮市(熊野速玉神社)は二等辺三角形で、辺の比が5:4:3の三角形を張り合わせたものになっています。 . . . 本文を読む

くし触神社(くしふるじんじゃ)の位置

2007年08月20日 23時36分07秒 | Weblog
理想的にいけば、武寧王陵(ムリョンワンヌン)・金印碑・槵触神社(くしふるじんじゃ)・日向の直線は、出雲大社・高千穂峰の直線と槵触神社(くしふるじんじゃ)でクロスすることになります。 . . . 本文を読む

金印碑と出雲・伊勢・日向・武寧王陵の位置関係 Ⅱ

2007年08月17日 22時38分56秒 | Weblog
前回の図の武寧王陵・出雲大社・金印碑の位置、その他をを検討します。 残念なことに、日向の大御神社の位置がどちらからも少しずれていました。 . . . 本文を読む

金印碑と出雲・伊勢・日向・武寧王陵の位置関係 Ⅰ

2007年08月13日 23時55分26秒 | Weblog
日向市と武寧王陵を結ぶ直線上に志賀島・金印碑があります。 出雲大社から金印碑を結ぶ直線は日向-武寧王陵の直線に垂直にぶつかります。 また、日向から出雲大社に向けた直線は、伊勢神宮-平城京-出雲大社-武寧王陵を結ぶ直線と直角になります。 . . . 本文を読む

続きⅣ

2007年08月10日 23時18分18秒 | Weblog
今までは『魏志倭人伝』だけの間違いにとらわれていましたが、『後漢書・倭伝』の間違いも、我が国の歴史叙述に大きな影響を与えていたようです。 『後漢書・倭伝』の帥升・SUISYOは≪SU・SYA・WO≫で、スサオーに変わり、 戴斯烏越・神武天皇と同様にスサノヲのことではないでしょうか。 . . . 本文を読む

続きⅢ

2007年08月07日 00時43分11秒 | Weblog
『後漢書・倭伝』の「永初元年107年倭国王帥升の生口160人の献上」は『魏志倭人伝』と比較すると過大にすぎるのではないでしょうか。 . . . 本文を読む

続きⅡ

2007年08月03日 22時39分05秒 | Weblog
『後漢書・倭伝』と『魏志倭人伝』には、よく似た年号・元号があります。 『魏志倭人伝』には「景初」という年号が登場します。 『後漢書・倭伝』には「永初」が出てきます。 これが気になるのは「記・紀」の中で、年号を移動させて、繰返させているのではないかと思わせる部分があったからです。 (もともとこの考え方は『「推古朝こそ原帝紀成立期」池田定道』から啓示を受けたものです。) 例えば薄葬令は、2006・ . . . 本文を読む