《日本書紀形成の過程の変遷》という題名をつけようと思ったのですが、とてもそんな大それたことはできません。きちんともできませんし,まとまりませんし、ちょっと無理でした。
日本の情勢は唐の情勢の変化によって大きく影響を受け、日本書紀の記述も変化したのではないか、という仮説です。(どなたかやっている方がいてもおかしくありません)
日本は663年白村江の敗戦後、いつ、唐が攻めてくるのかとびくびくしてい . . . 本文を読む
しつこいですが、確認させてください。
《乙巳の変(大化の改新)-白村江の戦い-壬申の乱》という流れの中の、
《乙巳の変(大化の改新)・壬申の乱》は創作で、白村江の戦いの責任を,百済王・豊璋になすりつけるために創られたと考えているわけです。
最初はそうだったわけですが、その後の権力の変化(天武系→天智・百済系)のために、記述に変化が生じました。
初めは正の政権が百済王・豊璋に倒され、白村江の戦いに日 . . . 本文を読む
白村江の戦いの責任をなすりつけるために天智天皇は創られたと考えています。
ただし、最初の構想の段階では天皇ではありません。
最初のシナリオとして想像するところはこうです・
百済王・豊璋(百済王子・豊璋)は正統な蘇我氏(天武系)を倒し,日本での政権を樹立します。ところが、660年本国百済が滅亡します。百済王・豊璋は朝鮮での百済を復興させるために、日本全体を白村江の戦いに向けて主導します。ですが、あえ . . . 本文を読む
道成寺が文武天皇勅願とするのは変だということを前回やりました。
聖武天皇は文武天皇の皇子とは考えません。
しかし、聖武天皇は天武・天智の両方をつなぐ血統だと考えています。
(天智天皇は存在しません。聖武天皇は藤原不比等と氷高皇女〈元正天皇〉の間の御子とします)
ですが、△道成寺-伊富岐神社-出雲大社が直角三角形になるということは、聖武天皇は天武系の血統を重視していたものと思われます。
それにもかか . . . 本文を読む
なんと、気多大社-道成寺の線上に長岡宮跡、平安宮大極殿跡がのっていました。
今までも知らなかったと思います。ただ知っていたとしてもその意味を理解できていませんでした。
A気多大社→平安宮・大極殿
①203°54′30.37″ ②23°18′21.90″ ③230,934.006(m)
B気多大社→長岡宮跡
①203°53′39.37″ ②23°16′10.76″ ③240,041.945( . . . 本文を読む
△竹島-沖津宮・宗像大社-道成寺
道成寺→沖津宮・宗像大社
①275°51′04.34″ ②93°00′30.94″ ③469,398.146(m)
道成寺→竹島
①321°52′36.15″ ②139°57′10.05″ ③475,173.830(m)
沖津宮・宗像大社→竹島
①25°08′20.97″ ②206°10′16.11″ ③369,018.902(m)
道成寺での角度
. . . 本文を読む