荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡には近くに「神原神社古墳」があります。神原神社古墳から卑弥呼の鏡ではないかとされるものが、発見されています。
そうでなければ、気にもならなかったのですが、『天孫降臨』は卑弥呼の子孫によってなされたのですから、この三つの遺跡は関連がある可能性が高くなります。
神原神社古墳の位置
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=3520 . . . 本文を読む
地図上では一直線には見えませんが、もしかすると、ソウルの位置は出雲大社~伊勢神宮と同一線上にあるかもしれないと思い、調べてみました。
結論からいうと、同一線上にはありませんでした。その線はソウルの100キロ以上南を通るようです。
ですから、別にあわてることもありませんでした。
しかし、せっかく調べたのですから、書いておきます。
まず、ソウルの位置は
東京都の都市外交というところでは
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出雲大社~平城京~伊勢神宮・内宮の線上に加茂岩倉遺跡が存在するということは、加茂岩倉遺跡が大和朝廷によって造られたものであるということを示しています。たとえ、出土品の銅鐸などが西暦710年よりはるか以前に作られたものであったとしても、たとえどこで製造されたものであったにせよ、平城京やその他の位置を決めるときに、一緒に加茂岩倉遺跡の位置は決められたのです。そして銅鐸などは、その時に埋められたものの . . . 本文を読む
もう一度、平城京の位置を確認しておきます。
伊勢神宮と平城京間の距離の4倍が伊勢神宮と出雲大社の間の距離であるべきでした。ところが、伊勢神宮・平城京間の距離が想定されているより、短いとしか思えませんでした。
A 伊勢神宮・内宮~平城京・太極殿の距離=89.172km(小数点以下3桁)
B 伊勢神宮・内宮~出雲大社の距離 =382.864km
Aを4倍しても356.688kmでBより26. . . . 本文を読む
とりあえずやってみましたが、なかなか難しいです。
A・丸岡町四ツ屋→平城京・太極殿
①194.309度 ②14.0502度 ③165.155km
B・伊勢神宮・外宮→平城京・太極殿
①285.603度 ②105.087度 ③86.20083km
C・出雲大社→伊勢神宮・外宮
①104.362度 ②286.665度 ③379.8757km
D・出雲大社→平城京・太極殿
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北緯36度8分36秒 東経136度14分30秒 辺りにします。
http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=360836&l=1361430
地図で丸岡町と書かれているところの位置です。
A・出雲大社→丸岡町
①74.5549度(東北東) ②256.634度(西) ③331.0619km
B・丸岡町→伊勢神宮・外宮
①167.043度(南) ② . . . 本文を読む
タイトルの他に、もう一つ、福井から平城京に向かう線は(出雲大社・平城京・伊勢神宮)の線に直角でぶつかるでしょうか。
鮮明でない画像は直角三角形のつもりです。(おっ、結構わかる)
底辺はACでその間にBがあります。頂点はDです。
それぞれ、A・出雲大社、B・平城京、C・伊勢神宮、D・福井の予定です。
∠A=30度、∠C=60度、∠D=90度、∠ABD=∠CBD=90度
大和朝廷は、【辺ACを4 . . . 本文を読む
この内宮・外宮は5kmほど離れているそうです。(球面三角法の計算ソフトに数字を入れたところ4.1kmという数字が出てきました。近くの所はあまり正確ではないのかもしれません)
大和朝廷はどちらを直線上に置いたのでしょうか。
また平城京にも太極殿跡と宮跡(内裏)があります。どちらを直線上としていたのでしょうか。
ところが、平面上の理念図のとおりに、出雲大社を起点として、平城京、伊勢神宮の位置を決め . . . 本文を読む
伊勢神宮にはなぜ内宮と外宮があるのでしょうか。
次に、日向か福井への直線を調べるつもりだったのですが、一旦寄り道します。
一般的には、又は公式的には、内宮に天照大神が、外宮には豊受大神が祀られているということになっています。
《外宮
雄略天皇の代に,皇大神宮の神饌を供進する神として豊受大御神を,丹波国与謝郡比沼(治)真奈井原から迎え,山田原の宮に祭ったことにはじまるという。
内宮
崇神天皇 . . . 本文を読む