次に①の場合です。
日本人が「あそ」と発音し、中国人が「阿蘇」と記すのもおかしいのです。
『隋書倭国伝』の「阿蘇山」の「阿蘇」は、本当に「アソ」と読むのでしょうか、ということです。
『隋書倭国伝』では
《大業三年、其王多利思比孤遣使朝貢。使者曰:「聞海西菩薩天子重興佛法、故遣朝拜、兼沙門數十人來學佛法。」其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云。帝覽之不、謂鴻臚卿曰:「蠻夷書有無禮者、勿復以聞。」》
大業三年は推古15年(607)とされています。
有名な部分ですが、それと関係なく、問題は、この「使者」なのです。
これは、「小野妹子」であるとされています。
日本書紀の推古15年7月の条に「小野妹子を大唐(もろこし、事実では隋)に遣わす」とあるからです。
そして、推古16年4月の条に「唐国(隋)は小野妹子を「蘇因高」(ソインコウとふりがなされています)となづけた」とあります。
「小野」の「小」が「蘇」で、「妹子」が「因高」であるとされています。
それが正しいとすると、「小」(しょう)が「蘇」と書かれたに違いありません。「蘇」は「しょう」に対応したものであるはずです。
すると、「蘇」を「そ」と読んだとは思えないのです。
ただ厄介なのは、具体的にはどういうことが起きたのかはわからないことです。
「蘇因高」という場合、「小野妹子」は自分の名前を「おののいもこ」とは言わずに、自分の名前を漢字で中国人に示して、中国人が「しょういんこう」と発音し、その発音を聞いた別の中国人が「蘇因高」と記した、というふうに考えなければなりません。
「おののいもこ」と「そいんこう」「しょういんこう」の発音では違いすぎます。
「IMOKO」と「IMKOU」は、似ているかもしれません。
(岩波文庫の『隋書』倭国伝(「魏志倭人伝」と同じ本)p36に
妹子が因高(yinkao)であることは異論ない、と出ていました)
しかし、「おの」と「そ」「しょう」では似ていません。
ともあれ、「小」(しょう)と「蘇」(す、そ、しょうのどれか、又はそれらのどれにでも聞こえるような音)が対応したのでしょう。
さて、中国の「蘇州」を、われわれは「そしゅう」と読んでいます。
「江蘇省」を「こうそしょう」と読みます。
しかし、中国での発音は違うように思えます。
蘇州( Suzhou)となっていますから、「蘇」は「Su」です。
江蘇省も、(ピンイン: Jiāngsū)です。略称は蘇(Su)とあります。
(いずれも、ウィキペディアから)
とすると、「蘇」は「ス」というほうが近いのではないでしょうか。
そうなりますと、「阿蘇」と中国人が記したものは、中国人には「アス」(又は「アショウ」)と聞こえたものではないでしょうか。
ならば、『隋書倭国伝』に書かれた「阿蘇山」は大和の「あすか」の可能性が出てくるのです。
「カ」が聞こえなかったのでしょうか。
強引に理由付けをしてみます。
日本人が「アスカノオカ」(またはアショーカノオカ)といったとします。
オカ(丘)は山と同じようなものと、日本人は説明します。
中国人は「アスノオカ」といったものと、勘違いして「アスヤマ」と表記することにした・・・・・とあてにならない想像をしました。
日本人の「ノ」の使い方も、この時は中国人は知っていたことになります。
ともあれ、アスカのカが聞こえなかったとしないと、私の想像は成立しません。
その場合、「飛鳥」の名前の由来は「インドのアショーカ王」からきたのではないか、ということも十分ありえます。
映画の題名ではasokaで、訳としては(アショーカ)になっていて、sの上に横棒がついています。「アソーカ」よりも「アショーカ」と聞こえるのかもしれません。(わかりませんけど)
アショーカ王は漢字になると「阿育王」となっています。(今度、中国の人に聞いとこう、と思いましたが、以前尋ねたことがあったかもしれません。「育」は「ショーカ」とは聞こえなかった気がします。現在の中国の発音ではなさそうです)
また《有阿蘇山、其石無故火起接天者》は火山を意味するのでしょうか。
これは噴火を表わしているのでしょうか。
「その石は理由なく、火がおこり、天に接する」という以上、火柱が立っていると読めますから火山であってもおかしくはありません。
しかし、阿蘇山だって常に噴火していたわけではないでしょう。
しかも、「石」というのであって「山」となっているわけではありません。
「其石」でなく、「其山」であれば、「阿蘇山が噴火」とは読めるでしょう。
また石から火柱が立っているとして、そのような情景は、映画ならありそうですが、実際にはありそうもありません。
ですが、中国には「怒髪天をつく」という表現があるくらいですから、かなりオーバーな表現をしたかもしれないのです。
また、火柱が上がるような儀式があったのかもしれません。
明日香の丘でそのような禱祭が挙行されていたのかもしれません。(全部、空想です)
仮に、九州の阿蘇山だとしても、何処で祀りを行っていたのか、わかるでしょうか。
なにしろ、阿蘇山とは五つの山の総称で、阿蘇山という単独の山は存在しないのですから。
そうなりますと、中国人は、火山にしろ、石の火柱にしろ、実際には見ていないのだろうと、想像できます。
《しかし、私には、「石と火」という組み合わせは、「卑弥呼トヨを殺した、磐之姫の嫉妬」を思い起こさせます。》
ともあれ「阿蘇山」は「明日香」の可能性があります。
「記・紀」では、特に『神武東征』の時に、大阪の地名を示しながら、実は北九州の地名を表現していました。
「記・紀」編纂の時既に『隋書倭国伝』は完成していました。
当然、「記・紀」の編纂者はこれを読んでいたでしょう。
すると、『隋書倭国伝』の「阿蘇」が「明日香」の表記だとして、
(強引かもしれませんが)
九州の「あそ」山とよばれていた山を、
(もしかしたら、五つの山は別々の名でよばれていただけで、総称としての「あそ」山という名称はなかったかもしれませんが)、
「阿蘇山」と『隋書倭国伝』の漢字名で表記してしまえば、東西の地名「阿蘇と明日香」を入れ替えることが出来るのです。
(東西を)逆にしなければならない、という「魏志倭人伝」からの要請をここでもクリアできることになります。
緻密さにはかけるかもしれませんが、こんなとこで、とりあえずおしまい。
・・・・・・・・・・・
「アスカ」の「カ」が中国人には聞き取れなかったことについて下記でかいています。2014・1/26追記
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/80dc6342b7c3bcce6cd365eca2c2de77
『隋書』の「阿蘇」は「アスカ」であることの発音的根拠 2009年07月20日
・・・・・・・・・・・・・
2014・7/5追記
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/045ce33fcc06dc440c9220be9995306d
『隋書倭国伝』の阿蘇は飛鳥である距離的根拠 2009年08月04日
日本人が「あそ」と発音し、中国人が「阿蘇」と記すのもおかしいのです。
『隋書倭国伝』の「阿蘇山」の「阿蘇」は、本当に「アソ」と読むのでしょうか、ということです。
『隋書倭国伝』では
《大業三年、其王多利思比孤遣使朝貢。使者曰:「聞海西菩薩天子重興佛法、故遣朝拜、兼沙門數十人來學佛法。」其國書曰「日出處天子致書日沒處天子無恙」云云。帝覽之不、謂鴻臚卿曰:「蠻夷書有無禮者、勿復以聞。」》
大業三年は推古15年(607)とされています。
有名な部分ですが、それと関係なく、問題は、この「使者」なのです。
これは、「小野妹子」であるとされています。
日本書紀の推古15年7月の条に「小野妹子を大唐(もろこし、事実では隋)に遣わす」とあるからです。
そして、推古16年4月の条に「唐国(隋)は小野妹子を「蘇因高」(ソインコウとふりがなされています)となづけた」とあります。
「小野」の「小」が「蘇」で、「妹子」が「因高」であるとされています。
それが正しいとすると、「小」(しょう)が「蘇」と書かれたに違いありません。「蘇」は「しょう」に対応したものであるはずです。
すると、「蘇」を「そ」と読んだとは思えないのです。
ただ厄介なのは、具体的にはどういうことが起きたのかはわからないことです。
「蘇因高」という場合、「小野妹子」は自分の名前を「おののいもこ」とは言わずに、自分の名前を漢字で中国人に示して、中国人が「しょういんこう」と発音し、その発音を聞いた別の中国人が「蘇因高」と記した、というふうに考えなければなりません。
「おののいもこ」と「そいんこう」「しょういんこう」の発音では違いすぎます。
「IMOKO」と「IMKOU」は、似ているかもしれません。
(岩波文庫の『隋書』倭国伝(「魏志倭人伝」と同じ本)p36に
妹子が因高(yinkao)であることは異論ない、と出ていました)
しかし、「おの」と「そ」「しょう」では似ていません。
ともあれ、「小」(しょう)と「蘇」(す、そ、しょうのどれか、又はそれらのどれにでも聞こえるような音)が対応したのでしょう。
さて、中国の「蘇州」を、われわれは「そしゅう」と読んでいます。
「江蘇省」を「こうそしょう」と読みます。
しかし、中国での発音は違うように思えます。
蘇州( Suzhou)となっていますから、「蘇」は「Su」です。
江蘇省も、(ピンイン: Jiāngsū)です。略称は蘇(Su)とあります。
(いずれも、ウィキペディアから)
とすると、「蘇」は「ス」というほうが近いのではないでしょうか。
そうなりますと、「阿蘇」と中国人が記したものは、中国人には「アス」(又は「アショウ」)と聞こえたものではないでしょうか。
ならば、『隋書倭国伝』に書かれた「阿蘇山」は大和の「あすか」の可能性が出てくるのです。
「カ」が聞こえなかったのでしょうか。
強引に理由付けをしてみます。
日本人が「アスカノオカ」(またはアショーカノオカ)といったとします。
オカ(丘)は山と同じようなものと、日本人は説明します。
中国人は「アスノオカ」といったものと、勘違いして「アスヤマ」と表記することにした・・・・・とあてにならない想像をしました。
日本人の「ノ」の使い方も、この時は中国人は知っていたことになります。
ともあれ、アスカのカが聞こえなかったとしないと、私の想像は成立しません。
その場合、「飛鳥」の名前の由来は「インドのアショーカ王」からきたのではないか、ということも十分ありえます。
映画の題名ではasokaで、訳としては(アショーカ)になっていて、sの上に横棒がついています。「アソーカ」よりも「アショーカ」と聞こえるのかもしれません。(わかりませんけど)
アショーカ王は漢字になると「阿育王」となっています。(今度、中国の人に聞いとこう、と思いましたが、以前尋ねたことがあったかもしれません。「育」は「ショーカ」とは聞こえなかった気がします。現在の中国の発音ではなさそうです)
また《有阿蘇山、其石無故火起接天者》は火山を意味するのでしょうか。
これは噴火を表わしているのでしょうか。
「その石は理由なく、火がおこり、天に接する」という以上、火柱が立っていると読めますから火山であってもおかしくはありません。
しかし、阿蘇山だって常に噴火していたわけではないでしょう。
しかも、「石」というのであって「山」となっているわけではありません。
「其石」でなく、「其山」であれば、「阿蘇山が噴火」とは読めるでしょう。
また石から火柱が立っているとして、そのような情景は、映画ならありそうですが、実際にはありそうもありません。
ですが、中国には「怒髪天をつく」という表現があるくらいですから、かなりオーバーな表現をしたかもしれないのです。
また、火柱が上がるような儀式があったのかもしれません。
明日香の丘でそのような禱祭が挙行されていたのかもしれません。(全部、空想です)
仮に、九州の阿蘇山だとしても、何処で祀りを行っていたのか、わかるでしょうか。
なにしろ、阿蘇山とは五つの山の総称で、阿蘇山という単独の山は存在しないのですから。
そうなりますと、中国人は、火山にしろ、石の火柱にしろ、実際には見ていないのだろうと、想像できます。
《しかし、私には、「石と火」という組み合わせは、「卑弥呼トヨを殺した、磐之姫の嫉妬」を思い起こさせます。》
ともあれ「阿蘇山」は「明日香」の可能性があります。
「記・紀」では、特に『神武東征』の時に、大阪の地名を示しながら、実は北九州の地名を表現していました。
「記・紀」編纂の時既に『隋書倭国伝』は完成していました。
当然、「記・紀」の編纂者はこれを読んでいたでしょう。
すると、『隋書倭国伝』の「阿蘇」が「明日香」の表記だとして、
(強引かもしれませんが)
九州の「あそ」山とよばれていた山を、
(もしかしたら、五つの山は別々の名でよばれていただけで、総称としての「あそ」山という名称はなかったかもしれませんが)、
「阿蘇山」と『隋書倭国伝』の漢字名で表記してしまえば、東西の地名「阿蘇と明日香」を入れ替えることが出来るのです。
(東西を)逆にしなければならない、という「魏志倭人伝」からの要請をここでもクリアできることになります。
緻密さにはかけるかもしれませんが、こんなとこで、とりあえずおしまい。
・・・・・・・・・・・
「アスカ」の「カ」が中国人には聞き取れなかったことについて下記でかいています。2014・1/26追記
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/80dc6342b7c3bcce6cd365eca2c2de77
『隋書』の「阿蘇」は「アスカ」であることの発音的根拠 2009年07月20日
・・・・・・・・・・・・・
2014・7/5追記
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/045ce33fcc06dc440c9220be9995306d
『隋書倭国伝』の阿蘇は飛鳥である距離的根拠 2009年08月04日
関西方面には火山てありませんよね。
これは文字通り阿蘇山でいいと思います。
asu aso 当時どう発音されたかは謎ですが。
古い記事にコメントしちゃいましてすみません。