古代日本史への情熱

記・紀・源氏は魏志倭人伝の奇跡的で運命的な間違い方(逆)の構造どおりに記述されている。倭人伝にあるのは現代史と未来史

なぜスサノヲの出発点は明石・須磨だったのか

2018年06月25日 14時49分58秒 | Weblog
ほんのちょっとの付け足しです。 確かに、ある時期まで瀬戸内海は船で通り抜けることは不可能だったでしょう。 そして、 《一世紀頃、朝鮮半島と近畿の「鉄の道」は淡路島ルートであった。朝鮮半島から運ばれた、不純物の入った鉄の塊を板にした鉄鋌(てってい)は、紀元一世紀の時点で豊岡から円山川を上がり、分水嶺は船曳道を通り、揖保川に下り、姫路に抜け、潮を見て淡路島に渡った。》《古代史の謎は「海路」で解ける》 . . . 本文を読む

249年卑弥呼・臺与(とよ)は瀬戸内海を渡れたか

2018年06月20日 15時31分56秒 | Weblog
749年八幡神が瀬戸内海を渡り、都に大仏を拝みに行く、ということは249年卑弥呼・臺与(とよ)が瀬戸内海を移動したことの再現だとしました。 そして、八幡神は東大寺・転害門につきますが、この転害門の名称の意味は、二人の卑弥呼が殺されていることからきたものと考えます。 殺された方を守り神にするのは、抵抗があると思えます。ですから、転害門とは 害を転じて良いもの・益するものに変えることを願ってつけられた . . . 本文を読む

749年八幡大神は宇佐から

2018年06月13日 11時20分36秒 | Weblog
歴史秘話ヒストリア 5月30日放送 6月2日(土)2018 再放送 「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き! ニッポンの信仰心」を視聴しました。 びっくりしたことがありました。 神仏習合で《大きな節目 聖武天皇が指揮した「大仏建立」》の部分で 「宇佐の八幡神のお告げは二つあり、我が国から金が出る、もう一つは「大仏を拝む」という、ものでした。」神仏習合の第一段階のようです。 神仏習合にも興味はありますが . . . 本文を読む

『無題』にするか『平等』にするか

2018年06月01日 21時55分05秒 | Weblog
平等院の名前の「平等」という言葉が気になり、考えましたが、まとまりません。 手に負えませんでしたが、とりあえず、ともかく、投稿します。 https://www.byodoin.or.jp/faq/byodoin/ よくある質問 Q 平等という言葉がなぜついているのですか? A 仏の救済が平等ということを意味します。   そして、仏の平等を光で顕わします。平等院は光のお寺なのです。 確か、キリスト . . . 本文を読む