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日本人が忘れてきたこと、「修身」について

2011年09月14日 02時42分04秒 | 無題

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。戦後のGHQによる占領政策が、全くの善意であるように日本人は思い込まされました。GHQが恰も日本の古い封建思想から日本人を解放した救世主のように洗脳されて、教育もそういう教育をするように命令されて、それが独立後もずっと今に至るまで続いています。

しかしアメリカが二度と日本がアメリカにとって強敵とならないように、また復讐して来る事のないようにと、用意周到に考えられた日本弱体化政策が取られたのは、ハッキリと記録に残る事実です。そして、そのためにウォーギルトインフォーメーションプログラムと名付けられた自虐史観を叩き込む政策を行なったのも事実なのです。

その国の歴史、地理を学ぶことはその国を愛する心を養うことです。また日本の修身は更に歴史、地理を補う授業であり、より詳しく先人を学び、日本人らしい道徳、生き方を学び、高い人格を目指す教育でした。滅私奉公ということが、戦後はあたかも非民主的なことであり、国家のために個人を犠牲にするための教育のように悪く言われて否定されましたが、実際に滅私奉公というのは、よほど強い人格を身につけた人しかできないものです。西洋社会がイエスの生き方を礼賛するならば、この滅私奉公こそ、そのイエスの生き方に相当するものです。

日本人の滅私奉公という美徳は、日本の国家だけでなく、外国に移民した人などが、その国の現地の民族の生活に貢献しようと、私財をなげうって貢献したという例も多くあります。

それが侵略戦争に利用されたというのは、アメリカなどの連合国からの視点であり、侵略戦争ということ自体が、アメリカの押しつけた史観です。人がその国ために命をも投げ出すというのは、「人その友のために生命を捨つる、これより大なる愛はなし」とイエスも言っていることと同じです。

自分たちの都合のいい史観を日本人に植えつけて、日本の歴史地理修身の授業を廃止させるなど、占領軍がやったのは明らかに国際法に違反したことです。更に自分たちにいいように書き換えた歴史地理を教育するように命令したのですから、本当に悪質な占領政策であり、日本弱体化を目指したものであることは、冷静な目で検証すれば一目瞭然のことなのです。いまだにそれがもとに戻せないのは、それを戻させないようにしている反日日本人の存在があるからです。「美しい国」から転載した記事にもあったとおりです。



 

修身について 
 
 
修身について八木秀次氏がいいことを書いています。 
一部加筆して掲載しておきます。 
・・・・・ 
 
「修身」は戦前の教育にあったものです。 
大東亜戦争後の昭和20年10月22日、 
GHQは『日本教育制度に対する管理政策』という第一の指令を手始めに、 
次々教育に関する指令を日本政府に命じました。
これらの指令は軍国主義教育の解体を目的としたもので、極端な国家主義、神道主義、
軍国主義教育の禁止と教材の排除、それらの提唱者と実践者の教職からの追放、
民主主義教育の奨励、自由主義者や反軍国主義者の復職を命じたものでした。
 
さらに12月31日、GHQは日本政府に『修身、日本歴史及び地理停止に関する件』という指令を出し、
修身、国史(日本歴史)、地理の授業停止とこれらの教科書の回収を厳命しました。
教科書は地区ごと回収され、中央に送られた後、全て廃棄処分にされて製紙の原料となりました。
その後、地理と歴史はGHQの承認を得た教科書が作成されて授業が再開されましたが、
修身の教科書は編集さえなされませんでした。
 
修身はこのようにして葬り去られ、その後、日本の教育ではまともに取り扱われることはされませんでした。
GHQ同様に日本人自身も「修身」を国家主義の軍国主義のイデオロギーの宝庫とみなし、頭ごなしに否定してきました。
しばしば修身教育の復活ということが恐れられ、道徳教育さえ忌避されました。
その結果、学校の「道徳」の時間はホームルームと化し、
ある場合には「同和教育」や「人権教育」、「平和教育」の名のもとに日教組の教職員やそれと連携関係にある民間団体のイデオロギーを子供たちに教え込む時間となったのです。
「道徳」をあえて「人権」と言い換えている学校もあったくらいです。
道徳を「価値観の押しつけ」、「強制」だとと、くだらない理屈をつけて教えたがらない教師たち。
そういう教師に限って自己中心で我がままで、自分の価値観は子供たちに押し付けているのです。
 
「修身」は日本人が思うほど怖いものでしょうか。
多くの人は修身の教科書さえ見ないまま修身を恐れているのでしょう。
修身の題材は今まで記事で書いてきたように我が国の歴史から採られているものが多いのです。
我が国の歴史の中には活きた教訓や愛情があふれています。
その多くは感動的な話が多く、日本人として我が国に自信と誇りを持つことができます。
それが子供たちの夢や希望、勇気となるのです。
それほどまでに先人達は自らを律し、正しい生き方のためには命を賭けて生真面目に向き合ってきたのです。
 
修身の廃止とともにこれらの立派な話は消された現在の日本。
今の子供たちは自分が「こういう人間になりたい」という具体的な人物像を失っているといいます。
戦後のある時期までは修身に変わって努力、忍耐、勇気、責任、友情、根性などの大切さを子供たちに教えていたのはスポーツ漫画でした。
それが80年代以降は「まじめの崩壊」と言われ、努力、忍耐、責任、勤勉、根性など大真面目に語ること自体恥ずかしいこととされたのです。
その結果はどうだろうか。
 
今日の教育荒廃の原因にはさまざまあるはずです。
しかし、その大きな一つに子供たちの個性や自主性を強調するだけで、
努力や忍耐、責任、勤勉などの徳目を含む道徳教育を怠ってきたことがあることは間違いないはずです。
子供たちは「尊敬できる人格」や「優れた人格」を示されることなく、
マスコミを通じて「崩れた姿」ばかり見せられているのです。
すでに子供の親たちにさえ道徳やモラルの欠如は甚だしい限りです。
戦後消された真実の「歴史」とともに「修身」を教育に取り戻さなければいけないのではないか。
・・・・・
  
「ふくしゅう」
 
よい日本人になるには、忠義の心を持たねばなりません。
   
お父さんやお母さんには孝行を尽くし、兄弟とは仲良くし、友達には親切にし、
   
召使いを憐れみ、近所の人にはよくつきあわねばなりません。
   
何事も正直で、心のとがめるようなことはせず、
   
勇気があって、辛抱強く、物事にあわてんようにし、
   
自分のことは自分でし、そして、難儀をこらえねばなりません。
   
また、体を丈夫にし、倹約を守って、仕事に精を出さねばなりません。
   
その他、礼儀を守り、自慢をせず、恩を受けては忘れんようにし、
   
人をそねむようなことなく、度量を大きくし、人のものを大事にせねばなりません。
   
かように、自分のおこないを慎んで、よく人にまじわり、
   
その上、世のため人のために尽くすように心がけると、
   
よい日本人になれます。
   
(第一期(明治三十七年)尋常小学第三学年より)
 
 
 

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