さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
日本の天皇が、祭祀という神々への祈りをどれだけ真剣に行われ、日本国家、国民の命運を自分の命を賭して、というか完全に無我無私の境地でひたすらに祈られるということ、その渾身の祈りを使命として生きておられることがわかる記事です。
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新年、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
今上陛下の年頭のお言葉としてこのように仰せられました。
「皆が被災者に心を寄せつつ、互いに支え合って困難を克服していくよう期待しています」。・・・
天皇陛下は元日の日が昇る前に、四方拝と呼ばれる祭祀を野外で行います。
年頭にあたって神々に日本国の安寧と世界の平和を祈られるのです。
昭和20年の元日、陛下の四方拝は空襲を恐れて宮中三殿ではなく吹上御苑の御文庫の前庭で行われました。
元日の零時5分にB29が東京上空に侵入して神田や浅草を空襲しました。
その後、敵機が退去し空襲警報が解除されました。
昭和天皇は午前4時に起床され、御文庫の風呂場で潔斎(身を清める)をなされ、午前5時に御文庫を出られましたが、すぐに空襲警報が発せられたため、いったん中に戻られ、皇后陛下とともに地下2階の防空室へ降りられました。
この時、陛下は防空室の時計をご覧になられて「いまに夜が明けてしまう」と繰り返し言われていたといいます。どうしても日の出前に四方拝を済ませなければならなかったのです。
B29が江戸川に投弾して火災が起こって夜空の雲を赤く染めました。
空襲警報が解除された5時40分、陛下は軍装のまま御文庫から出られ、宮中三殿から白い屏風や真薦(まこも)、薄帖(うすじょう)が運ばれ、並べられました。気温はマイナス1度。
いつもはかがり火が焚かれ、陛下は平安朝から伝わる束帯に黒い冠をかぶられ、屏風の囲いの中に入られるのです。
しかし昭和20年の四方拝は灯火管制のために、黒い覆いを被せた懐中電灯一つで行われたのです。
芝生の地面はデコボコで屏風は安定せずに風が吹く都度、侍従が倒れないように外から支えていました。
陛下が屏風に入られると、三尺四方の厚畳の御拝座にあがられ、皇大神宮の方角にく向かれ、立札をされ、座礼をされ、もう一度立たれてお辞儀され、また坐って平伏されます。これを両段再拝といいます。
陛下は右へ廻って北西の方角に両段再拝され、北東、南東でも行われました。四方へ向けて両段再拝されることで、皇大神宮、豊受大神宮、四方の天神地紙(てんしんちぎ)、天皇陵などを拝まれるのです。
陛下が四方拝を無事に終わられるまで敵機来襲がなかったので中断されることはなかったのでした。
昭和天皇は80歳を超えられても、四方拝をおつとめになられていました。
歴代の天皇陛下は今日まで連綿として守ってきた四方拝。
天皇陛下は日の出前の野外の暗く寒い中、世界の平和と幸せを祈って祭礼され、皇族方は居間の窓や戸を開け放ち、四方拝が終わられるのを身を慎んで待たれる。
このようなことは世界の中でも日本の他にはないことです。
今年も今上陛下は四方拝を行われました。宮内庁によるとご負担軽減を目的として、昨年同様にお住まいの御所で行われたとのことであります。
昨年には心臓手術をなされて間もなく東日本大震災の式典に出られ、今年も国民と世界の平和と幸せのために四方拝を行われた天皇陛下。
我が国柄と伝統に国民が感謝して、心新たに新年を迎えたい。