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知られざる天皇陛下慰霊の旅

2012年12月30日 18時11分40秒 | 天皇、皇室

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。

前の記事でも今上陛下が東日本大震災の被害者に深く心を寄せられていることが述べられていましたが、歴史上多くの天皇陛下には、心から国民のことを思いやられる逸話が多く残っています。これは祭祀を通じて常に祈られる伝統から生れた無私の精神の伝統であり、それはまた天皇こそ日本という国の体現者そのものだということではないかと思います。

西洋の専制君主の中には、「朕が国家である」といった君主もいましたが、その場合の意味は、国家はその君主の所有物であり、自分が国家の意志そのもの、自分の意志が国の法律であり、自分がすべての支配者であるという意味であり、これは支那の歴史上の君主にも相当する態度です。

しかし日本の天皇は、国は天照大御神からお預かりしたものであり、国民はやはり神よりお預かりした元々(おおみたから=大御宝)であるとして、国安かれ民安かれと祈り続けてこられました。そして災害も災厄も全て自分の不徳のいたすところであると、一切を自分の責任とされてこられました。それは、まさに日本という国家と、天皇自身が自己同一化した気持ちであり、それゆえに、国民の幸せがほんとにうれしく思われ、国民の悲しみがほんとに悲しく思われて、国の受けた有形無形の傷がすべて天皇の痛みとなっておられるのだと思います。

この記事にもある昭和天皇の最後の戦没者追悼式へのご出席のご様子が、下の動画の5分過ぎくらいからありますが、ご病気を押してそれでも出席されるご高齢の昭和天皇のお姿には、涙なくしては見れないほど、まさに国民の父、あるいは祖父と感じずにはおれません。


昭和天皇と平和への願い 

 

 

 

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       平成24年11月18日 沖縄に行幸啓された天皇皇后両陛下を迎える沖縄県の方々
 
 
WILL「2013. 2月号」に高森明勅先生の『知られざる昭和天皇、今上陛下慰霊の旅』が掲載されています。一部抜粋させて頂きます。
 
「全国戦没者追悼式は昭和36年に日比谷公会堂で行われたのが第一回だった。第二回は、何と靖国神社の境内にテントを張って実施している。それでも、政教分離違反などという声はどこからも起こっていない。第三回からは、前年9月に完成した日本武道館で行う形になって現在に至っている。ちなみに、日本武道館の建設に当たっては昭和天皇からお手元金のご下賜があった。
 
昭和天皇は生前、昭和57年にお風邪で体調を崩して欠席されたほかは毎年、必ず追悼式に臨御されている。
特に昭和63年はがんを患われて那須の御用邸でご静養中にもかかわらず、8月13日にヘリコプターで帰京の上、身体ご不自由なお身体を押して式典に臨まれた。この時のお姿こそ、国民が拝した昭和天皇の最後のお姿だった。
この日、昭和天皇は次のような御製をお詠みになっている。
やすらけき 世を祈りしも いまだならず くやしくもあるか きざしみゆれど
 
昭和というのは、国民の平和と世界各国の共存共栄を願ってつけられた元号であります。その願い「やすらき世」の祈りが「いまだならず くやしくもあるか」とお詠みになられているのです。
昭和61年4月29日、政府主催の御在位60年記念式典で昭和天皇はこのように仰せになりました。
「いま、ここに昭和の60年の歳月を顧み、先の戦争による犠牲を思うとき、なお胸が痛み、改めて平和の尊さを痛感します」
 
 
 
 
「硫黄島は戦争当時、日米両国にとって必要不可欠な島だった。我が国は本土防衛の防波堤であり、アメリカにとっては日本攻略の足掛かりだったからだ。
当初は「5日間で陥落させる」と豪語していたが、栗林忠道中将率いる日本軍は驚異の敢闘をみせた。米軍はおびただしい犠牲を強いられ占領を発表できたのは攻撃開始からほぼ1ヶ月後で、その後もゲリラ戦を続けた日本軍の最後の総攻撃は、さらにそれから10日余りのちのことだった」
平成6年2月12日、今上陛下は硫黄島に向かわれ、このような感想を仰せになられました。
「硫黄島における戦いは太平洋に浮かぶ孤島の戦いであり、加えて、地熱や水不足などの厳しい環境条件が加わり、筆舌に尽くしがたいものでありました。この島で日本軍約2万人が玉砕し、米軍の戦死者も約7千 人という多数に上りました。このたび、この島を訪問し、祖国のために精魂込めて戦った人々のことを思い、また遺族のことを考え、深い悲しみを覚えます。今 日の日本がこのような多くの犠牲の上に築かれたものであることに深く思いをいたしたく思います。鎮魂の碑の正面に立つ摺鉢山は忘れがたいものでありまし た」
 
平成17年6月27日、今上陛下はサイパン島に向かわれました。
両陛下が「バンザイクリフ」の崖を望み、静かに黙礼されているお姿は多くの国民が見られたことでしょう。
「こ の時、両陛下は同島にある韓国出身戦没者の慰霊塔『太平洋韓国人追念平和塔』にわざわざお立ち寄りになって、心を込めた拝礼を行われている。このことは、 事前に公表されたスケジュールには入っていない。だが、ご出発前からの天皇陛下の強いお気持ちで実施されたという。現地の韓国系住民でつくる「サイパン韓 人会」のキム・スンペ会長は、陛下のご拝礼について「予想外のこと。本当に嬉しい」と話していた。住民らを代表した素直な感想だろう」
 
にもかかわらず今年8月14日、韓国大統領李明博は韓国教育大学の教育者研修会でこのように述べたという。
「日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い。重罪人に相応しく、手足を縛って、頭を踏みつけて、地面にすりつけて謝らせてやる。重罪人は土下座もしない、言葉で謝るならふざけた話だ。そんな馬鹿な話は通用しない。それなら入国されない」」
日本のマスコミはきちんと訳して報道しないために、この過激な不敬発言を日本国民が知ることはなかったのです。
 
このサイパンで現地の高齢者施設「敬老センター」を訪れた時、そこの老人たちが「海ゆかば」を大合唱して陛下をお迎えしたというのです。
高森先生はこのように書かれております。
「島 民が日本軍や日本人に反感や恨みを抱いていたら、こんな迎え方はしないはずだ。陛下ご自身の強いご希望によって実現した異例の海外戦跡へのご訪問。その最 中に、このような形で『海ゆかば』にお触れになった陛下の胸中に去来した思いは一体、どのようなものだっただろうか・・・」
 
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

 

 

 

 

 



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