昭和天皇の御代のことです。その頃に参議院議長をしていた人に、重宗雄三という方がおられました。その方の奥様がお話になった逸話だそうです。
或る時インドネシアの大統領が来日されました。国家の正式なお客様ですから、天皇陛下の御招待のパーティが開かれ、参議院議長夫妻もお招きに与りました。
重宗さんの奥様はその頃大変に痩せておられたそうです。だから洋服はあまりお召にならず、和服を召されました。この様な宮中の正式な場所では、一般の正装である黒の留袖ではなく、無地の色物を着ることになっています。それで奥様は無地の色物を準備しておられたのです。
するとそこへ御主人の重宗議長が入って来て、「お前、なんだ。今度は天皇様の御招待じゃないか、この種のパーティは初めてじゃないだろう、ずいぶんデラックスなパーティだ、いくら婆さんでもお前、そりゃ、あんまり地味すぎるぞ」と言われたのです。そう言いながらしばらく考えておられた議長は、突然に、
「あっ、いいのがある、あれがいい、あれだったらパアッとしていいから」
奥様は、御主人が何を言っているのかと思ったら、先日もらったダイヤの指輪をはめていけと言うわけです。
「この間もらった、こんなでかいの、あれがいい」
ところが奥様はそんなものをもらったこともないし、第一御主人から買ってもらったこともない。何を言っているのかと思ってよく考えてみたら「孫が誕生日にくれた大きなガラス玉の指輪のことでした」とこういうわけです。議長はそれをダイヤと間違えておられたらしいのです。
「あなた、あれはガラスですよ」
「ガラスか……」
ちょっとびっくりした様子でしたが、又しばらく考えて「いい、いい、はめていけ。まさかあの席上で天下の参議院議長の奥様がガラス玉をはめているなんて誰も思わんだろう」ということになったそうです。重宗夫人は素直な方でしたので、御主人の言うとおりにされたのでした。
さて、宮中でのパーティは、和食や中華料理はお使いにならないで、いつも洋食なんだそうです。和食の場合ならお茶碗やお箸は下から支えるように持ちます。だから指輪は下の方になります。ところが、洋食となるとフォークとナイフは上から押さえつけるように持つでしょう。つまり指輪が上に向くことになるのです。その上、素晴らしいシャンデリアの光で、その大きなガラスの指輪がピカっと光るわけです。
人間というのは面白いもので、ガラス玉ということを誰も知らないで自分だけが知っている。自分しか知らないんだけれど、自分がガラス玉だと強く意識するので、光るほど、恥ずかしくてたまらないのです。もしこれが、逆に本物だったら、ちょっとでも光ればウフフンとなります。重宗夫人は、ニセモノのガラス玉なのでもう恥ずかしくて、恥ずかしくて、小さくなっておられたというのです。そうしたらちょうどメインテーブルだから、天皇陛下がいらっしゃって、隣にインドネシアの大統領、それから皇后陛下、天皇陛下の向こうは大統領夫人という風に、交互にお座りになるわけです。そして重宗さんの奥様ははす向かいに座らされたというのです。
しばらくしたら、あまり光るものだから、天皇陛下が奥様の方、特に指輪を、お体を出されてのぞいていらっしゃるんだそうです。それで、奥様はもうなんとも言えない恥ずかしい気持ちになり、小さくなって御飯を食べました。そこでおひらきになったのです。そして、誰かと重宗夫人が話をしておられたら、そこへ天皇陛下がお近くへいらっしゃったので、恐縮して「本日は御馳走になりました」と深々と陛下の前に最敬礼をされたそうです。しばらくして頭をもたげたら、陛下は御身をのり出されて、問題の指輪をのぞいていらっしゃる。重宗夫人はあわてました。
そうしたら天皇陛下が、
「重宗さん、先ほど食事の時に、非常に光ったものだから、よく見たらあなたの見事なダイヤでした」
とおっしゃっておそばに来られ
「あの見事なダイヤをそばでゆっくり拝見させて下さい」とのお言葉があったというのです。奥様のおっしゃるには、「天皇陛下というお方様は絶対にごまかすことができないお方様です。どうしても嘘を言えないお方様です」ということでした。
これはすばらしいことです。このことを重宗夫人から伝え聞いた方が言っておられました。ここに日本の象徴があるのです。つまり無私というか、無我というか、この無私のお立場というものは、一切を身そぎ祓われた本当に美しいものなんです。本当に美しいものに対しては、よごれたごまかしの心は寄せ付けられない。嘘をつけない。だが一応ごまかしていいような相手だったら、「いやあ、大したものじゃありません」と逃げてしまえばいい、というのです。
ところが、ごまかせないお方様です。仕方がないから、畏れ多いことだったけれど、陛下のお耳元に近づいて、「陛下、まことにお恥ずかしいことでございますが、実を申しますとこれはダイヤではないんです。これはダイヤのニセモノでございます」と小さい声で申し上げたのだそうです。そうしたら、陛下がびっくりされて、大きなお声を出された。
「これニセモノですか!」
そこでとてもあわててしまって、冷や汗をかきながら、「ハイ、実を申しますとこれはダイヤじゃなくて、ダイヤのニセモノで、ガラス玉でございます」
陛下はしばらくじっと指輪を御覧になっていらっしゃいましたが、
「重宗さん、本物じゃありませんか」と、またおっしゃったということです。どうしてこう執着なされるのかと思いながら、「違うんです。これはダイヤじゃないんでございます。ダイヤのニセモノでございます。ガラスの玉でございます」と再び申し上げたら、とうとう終いにお笑いになって、
「あなた、本物じゃありませんか、これねえ、ガラスの本物でしょう」
とおっしゃったということです。このおはなしを重宗夫人から聞いた方は、涙がぼろぼろ出てきたと書いておられました。胸がつまるような気持ちになったそうです。“ああ、すばらしいなあ、本物だけを生きるというお方は、本物だけをみられるのだ”と思ったというのです。いわゆる偽物というのは無い。それは比較対照する時に感じられる仮定に過ぎないのであり、一つ一つ見ていったら、凡ては生え抜きの本物だというのです。
こどもの教育でも、失敗するのは、兄弟がいると、「姉ちゃんと比べてお前は何だ」とか、「お前は兄貴のくせに弟を少し思ってみたらどうか」と、こう比較の中で考える。それだから本来のその子の個性の本物が何処かへくらまされてしまう、というのです。
昭和天皇は、そういえば、植物の研究をよくされましたが、その時お付きの方が、何かの折にお庭の草のことで、これは雑草で、というようなことを言われた時に、雑草というものはないとおっしゃったというお話を聞いたことがあります。天皇というお方が、いかに無私公平の心で、凡てのものを見ておられるのかということが、ほんとうにこのお話をきいて、しみじみと感じたものです。これは今上陛下におかれても、同じ御心であろうと思います。
或る時インドネシアの大統領が来日されました。国家の正式なお客様ですから、天皇陛下の御招待のパーティが開かれ、参議院議長夫妻もお招きに与りました。
重宗さんの奥様はその頃大変に痩せておられたそうです。だから洋服はあまりお召にならず、和服を召されました。この様な宮中の正式な場所では、一般の正装である黒の留袖ではなく、無地の色物を着ることになっています。それで奥様は無地の色物を準備しておられたのです。
するとそこへ御主人の重宗議長が入って来て、「お前、なんだ。今度は天皇様の御招待じゃないか、この種のパーティは初めてじゃないだろう、ずいぶんデラックスなパーティだ、いくら婆さんでもお前、そりゃ、あんまり地味すぎるぞ」と言われたのです。そう言いながらしばらく考えておられた議長は、突然に、
「あっ、いいのがある、あれがいい、あれだったらパアッとしていいから」
奥様は、御主人が何を言っているのかと思ったら、先日もらったダイヤの指輪をはめていけと言うわけです。
「この間もらった、こんなでかいの、あれがいい」
ところが奥様はそんなものをもらったこともないし、第一御主人から買ってもらったこともない。何を言っているのかと思ってよく考えてみたら「孫が誕生日にくれた大きなガラス玉の指輪のことでした」とこういうわけです。議長はそれをダイヤと間違えておられたらしいのです。
「あなた、あれはガラスですよ」
「ガラスか……」
ちょっとびっくりした様子でしたが、又しばらく考えて「いい、いい、はめていけ。まさかあの席上で天下の参議院議長の奥様がガラス玉をはめているなんて誰も思わんだろう」ということになったそうです。重宗夫人は素直な方でしたので、御主人の言うとおりにされたのでした。
さて、宮中でのパーティは、和食や中華料理はお使いにならないで、いつも洋食なんだそうです。和食の場合ならお茶碗やお箸は下から支えるように持ちます。だから指輪は下の方になります。ところが、洋食となるとフォークとナイフは上から押さえつけるように持つでしょう。つまり指輪が上に向くことになるのです。その上、素晴らしいシャンデリアの光で、その大きなガラスの指輪がピカっと光るわけです。
人間というのは面白いもので、ガラス玉ということを誰も知らないで自分だけが知っている。自分しか知らないんだけれど、自分がガラス玉だと強く意識するので、光るほど、恥ずかしくてたまらないのです。もしこれが、逆に本物だったら、ちょっとでも光ればウフフンとなります。重宗夫人は、ニセモノのガラス玉なのでもう恥ずかしくて、恥ずかしくて、小さくなっておられたというのです。そうしたらちょうどメインテーブルだから、天皇陛下がいらっしゃって、隣にインドネシアの大統領、それから皇后陛下、天皇陛下の向こうは大統領夫人という風に、交互にお座りになるわけです。そして重宗さんの奥様ははす向かいに座らされたというのです。
しばらくしたら、あまり光るものだから、天皇陛下が奥様の方、特に指輪を、お体を出されてのぞいていらっしゃるんだそうです。それで、奥様はもうなんとも言えない恥ずかしい気持ちになり、小さくなって御飯を食べました。そこでおひらきになったのです。そして、誰かと重宗夫人が話をしておられたら、そこへ天皇陛下がお近くへいらっしゃったので、恐縮して「本日は御馳走になりました」と深々と陛下の前に最敬礼をされたそうです。しばらくして頭をもたげたら、陛下は御身をのり出されて、問題の指輪をのぞいていらっしゃる。重宗夫人はあわてました。
そうしたら天皇陛下が、
「重宗さん、先ほど食事の時に、非常に光ったものだから、よく見たらあなたの見事なダイヤでした」
とおっしゃっておそばに来られ
「あの見事なダイヤをそばでゆっくり拝見させて下さい」とのお言葉があったというのです。奥様のおっしゃるには、「天皇陛下というお方様は絶対にごまかすことができないお方様です。どうしても嘘を言えないお方様です」ということでした。
これはすばらしいことです。このことを重宗夫人から伝え聞いた方が言っておられました。ここに日本の象徴があるのです。つまり無私というか、無我というか、この無私のお立場というものは、一切を身そぎ祓われた本当に美しいものなんです。本当に美しいものに対しては、よごれたごまかしの心は寄せ付けられない。嘘をつけない。だが一応ごまかしていいような相手だったら、「いやあ、大したものじゃありません」と逃げてしまえばいい、というのです。
ところが、ごまかせないお方様です。仕方がないから、畏れ多いことだったけれど、陛下のお耳元に近づいて、「陛下、まことにお恥ずかしいことでございますが、実を申しますとこれはダイヤではないんです。これはダイヤのニセモノでございます」と小さい声で申し上げたのだそうです。そうしたら、陛下がびっくりされて、大きなお声を出された。
「これニセモノですか!」
そこでとてもあわててしまって、冷や汗をかきながら、「ハイ、実を申しますとこれはダイヤじゃなくて、ダイヤのニセモノで、ガラス玉でございます」
陛下はしばらくじっと指輪を御覧になっていらっしゃいましたが、
「重宗さん、本物じゃありませんか」と、またおっしゃったということです。どうしてこう執着なされるのかと思いながら、「違うんです。これはダイヤじゃないんでございます。ダイヤのニセモノでございます。ガラスの玉でございます」と再び申し上げたら、とうとう終いにお笑いになって、
「あなた、本物じゃありませんか、これねえ、ガラスの本物でしょう」
とおっしゃったということです。このおはなしを重宗夫人から聞いた方は、涙がぼろぼろ出てきたと書いておられました。胸がつまるような気持ちになったそうです。“ああ、すばらしいなあ、本物だけを生きるというお方は、本物だけをみられるのだ”と思ったというのです。いわゆる偽物というのは無い。それは比較対照する時に感じられる仮定に過ぎないのであり、一つ一つ見ていったら、凡ては生え抜きの本物だというのです。
こどもの教育でも、失敗するのは、兄弟がいると、「姉ちゃんと比べてお前は何だ」とか、「お前は兄貴のくせに弟を少し思ってみたらどうか」と、こう比較の中で考える。それだから本来のその子の個性の本物が何処かへくらまされてしまう、というのです。
昭和天皇は、そういえば、植物の研究をよくされましたが、その時お付きの方が、何かの折にお庭の草のことで、これは雑草で、というようなことを言われた時に、雑草というものはないとおっしゃったというお話を聞いたことがあります。天皇というお方が、いかに無私公平の心で、凡てのものを見ておられるのかということが、ほんとうにこのお話をきいて、しみじみと感じたものです。これは今上陛下におかれても、同じ御心であろうと思います。