小さな自然、その他いろいろ

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陛下に誇りと自信を頂いた襟裳のお話

2011年11月09日 20時54分44秒 | 無題

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。今上陛下の、真心で何事もなさっていることがよくわかる記事です。歴代天皇陛下が、皆とても誠実な方であったことは、日本の伝統として、皇室の伝統として、受け継がれていますが、こうした何かの折に現れる天皇陛下の御心には、思わず感動を覚えます。さきの昭和天皇もそうでしたが、物事のかたちではなく、本質を常にご覧になっているようなところ、それゆえ、見た目や外見的なものを超えて、接せられるときに、ほんとうに感動があります。人々の心を深く汲まれる方であることを、そんな方を天皇として戴いていることを日本人として誇りに思わずにはおれません。

気管支炎で入院なさっている天皇陛下の御平癒を心よりお祈り申しあげます。

 

 

 
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陛下が御入院されており、大変心配であります。 
ここに陛下の御快癒を願い、陛下に誇りと自信を頂いた人々のお話を書いてみたいと思います。 
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天皇皇后両陛下は、一年に数回地方へ行幸啓されます。 
そのうち3回は毎年決まっております。 
全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会。 
この三つの行事を「三大行幸啓」といいます。 
 
全国植樹祭は、大東亜戦争でたくさんに木を使ったため、荒れ果ててしまった山や林を緑豊かなものにしようと昭和25年から各県持ち回りで開催されました。昭和天皇、香淳皇后が式典に参加され、それぞれ苗木の「お手植え」と樹木の種を「お手まき」されました。木を植え育て、国土の緑を守ることの大切さを御自らお示しになられたのです。 
 
ここに襟裳岬の緑化事業と今上陛下の御心についてふれてみたいと思います。
現在、襟裳岬は強風でも倒れない黒松が岬を覆っています。
しかし、そんな襟裳岬に木など全くない荒地の時期がありました。
襟裳岬一帯の海はもともと海産物の宝庫として有名で、魚や昆布などがたくさん採れていました。
ところが明治になると住宅用や燃料用の木材のために豊かな森林が次々切り倒されていったのです。
その結果、昭和の時代になると襟裳岬周辺は赤土だらけの砂漠のようになってしまいました。
 
荒れた大地の赤土は、強風と雨により容赦なく海へと流れ、やがて襟裳岬の海は赤く濁り、
魚や昆布が次第に姿を消していきました。
襟裳岬では、瞬間風速十メートル以上の強風の日が、年間約290日もあります。
そのため種を植えてもすぐ吹き飛ばされてしまうのです。
緑化事業最大の壁は、襟裳岬特有の強風から、いかにして蒔いた種を守るかでした。
試行錯誤の結果、浜辺に打ち上げられた「ゴタ」と呼ばれる雑海藻を使うことが提案されました。
ゴタは1回腐らせて乾燥させると粘着力ができます。
そこで種をゴタでネットのように覆うことにしました。
すると種は吹き飛ばされることなく、芽を出すようになりました。
こうして牧草による緑化は安定し、やっと木を植えられる環境になりました。
そこに黒松を1本ずつ植え、半世紀かけて襟裳岬を緑豊かな黒松の森に蘇らせることが出来たのです。
 
平成18年9月、天皇皇后両陛下は襟裳岬をご視察されました。
緑化事業に従事した駿河さんはゴタについて説明申し上げるために乾燥したゴタをお見せしました。
ところが、陛下はあえて、濡れて腐ったゴタを見たいとおっしゃり、
それを軍手も使わず素手でお触りになられたのです。
ゴタは一度腐らせているため匂いがきつくベタベタしていて
地元の人でも触るのを遠慮するほどなので、駿河さんは大変驚いたそうです。
さらに、陛下は、複数の海藻からなるゴタの一つ一つを手に取り、
「これはつのまたですね」など、海藻の名前を次々言われ、
わからないものは、「これは何という海藻ですか」とお尋ねになられたそうです。
長い間、海の仕事にたずさわってきた駿河さんにとって、これも大変な驚きでした。
陛下は海のことをよく勉強されているとつくづく感じたそうです。
 
陛下はこの時、次のような御製をご発表されました。
 
えりも岬
吹きすさぶ海風に耐えし黒松を永年かけて人ら育てぬ
(海の風が強く吹き荒れるこの地で人々は長い年月をかけて黒松を植え育てたのである)
  
平成19年、苫小牧で行われた第五十八回全国植樹祭にご臨場された陛下は、
襟裳岬の緑化事業の成果を詳しく紹介されました。
そして、森の回復が豊かな海をつくることを述べられました。
えりも町役場の方は陛下がこのように仰って下さることで、えりもはすごいところなんだ、という自信と誇りが芽生えた」といいます。
そして、「緑化事業の一番困難な時にたずさわっていた方々が存命なら、どんなに嬉しかったことだろうかと思います」と感慨深く語りました。
  
「黒松の森を守り続けていくのはえりも町の使命です」
と語る町役場の方の表情は自信と誇りに満ちていました。
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