サイタニのブログからの転載のつづきです。
現在の日本社会の崩壊の原因が語られています。村松剛氏の分析を聞いていると、現代社会の混乱が当たり前のように思えてきます。この頃から、もっとひどくなった現在も、流れの中で当然のごとくに出てきた現象のように思えますね。そして、これらが、明治の文明開化の頃から既に根ざしていた問題だったことも、かいま見えます。
―人間の生き方の総体が文化であるという、あたりまえの認識が足り
なくて技術の所産のみが文化だと……。それに元首も自衛権もない
憲法下の国家なんて世界には例がないということ―
村松 どんなことが憂うべきかとおっしゃられましたが、うんざりすることが多くて…テレビや週刊誌ひとつをとっても異常でしょう。日本のいまの杜会は、いちいち 腹を立てていたらきりがない状態で、これが大衆杜会だと我漫するほかない。不愉快な部分が多くて、どうお答えしたらいいかわからないんですが、いま福田さ んがおっしゃったことの一つは、いわば文化論的な視野からの御発言ですね。文化の混乱、もっと極端にいってしまえば文化概念の喪失、これはもう明治の文明 開化以来始まっていますね。「文化の日」なんてふざけた日をつくる。じゃあ残りの三百六十四日は野蛮の日なのか……。(笑)
そ れから文化鍋とか、文化住宅とか、文化釜とかね、人間の生き方の総体が文化だという極(ご)くあたりまえの認識が不足していて、技術の所産が、それだけが 文化だという偏った文化観が明治以来出てきた。それが敗戦によって一層拡大された、ということでしょう。
ただし、文化概念の喪失は、日本だけの現象じゃな いと私は思います。ヨオロッパをみても、アメリカをみても、ヨオロッパなんかずいぶんがんばって来ましたが、この頃はやはり崩壊してきた。アメリカはひど いですね、アメリカのひどさは歴史の浅さやピューリタニズムの崩壊と関係があって、こういうことは世界的な現象ではあるけれど、日本の場合にも明治以来揺 れが大きいですね。それがいまいろんなところに、増幅されて現われてきている。
文化概念の他にもう一つの間題は、これは敗戦によって生じたことで、国家理念の喪失でしょう。
国 家理念の喪失の危機は、文明開化の時代にすでにあったと思うのです。徳川幕府にかわる民族国家をつくろうとしたんだけれども、さあどうやってつくったらいいか分らない。一時は神道をもってきましたが、うまくゆかないということが分ったのが、明治五、六年ですね。そのあと混乱期がつづき、結局教育勅語をつ くった。あの啓蒙家の禰沢諭吉が歎くほど、明治のはじめは道徳が混乱していたのですね。
福沢諭吉という人は、本質的には十八世紀的な啓.蒙家です。その彼が精神の衰えを歎くというのはちょちと異様な事態だったと思うんです。そこになんとかかっこうをつけて、国家理念を形成してきたのですけれど、それが敗戦によって完膚なきまでにたたき壊されたわけです。大体、いまの憲法は国家としての体をなしていませんでしょう、元首がいない、自衛権もない憲法なんて、世界中にありゃしない。
―大衆に媚びるをよしとし、凡傭は偶像化される。情報は野放しで氾
濫する―
村松 もう一つ、三番目はイデオロギー戦争ですね。それが始まったのは大体昭和二十三年頃、米ソの冷戦がはげしくなってからです。日本人自体は自信を失って、腰 を抜かしている時期ですから、イデオロギー戦争はその空白に根をひろげました。教育を蝕み、マスコミを蝕み、裁判の世界にまで大幅に入りこんできました。
四 番目の問題は、民主主義の本質的に持っている弱点です。いくつもありますが、その一つは大衆に媚びるということですね、凡傭の偶像化。民主主義は平等を謳 (うた)うし多数決原理ですから、多数決になればさっき福田さんが御指摘になったように、一番低い層に焦点を合わせざるをえない。それを否定すれば、差別 がいけないということになる。それから例えば情報の過多ですね。
独裁国は、民衆は愚かであるという前提に立っている。ヒトラーはそれを公言していました し、毛沢東だってスターリンだって公言はしないまでもそうでしょう。民衆は愚かである、従っていつ、「反動」に利用されるかわからない。だから情報は管理 し、国外のことは知らせない。秘密警察で監視する、という極めて明快な立場です。
と ころが、民主主義杜会は「民衆は賢い」という仮説の上に立っているんですね。だからほったらかしといっても、唄歌いのテレビ・タレントをまさか参議院議員 にはしないだろう、それほど愚かやないだろうというのが前提です。だから情報にも管理がなく無限に入ってくる。刺激は刺激を呼んでセンセイショナリズムは つよくなり片方ではイデオロギー操作もある。情報公害です。はじめから民主主義はそういう弱点を持っているのですが、これも大衆杜会化技術杜会化でますま す増幅されてゆく。
「ア メリカの民主主義』を書いたトツクヴィルが、民主主義の世の中になると責任感を持った貴族がなくなって、本当に愛国心のあるやつは民主主義を敵視し、卑し い欲望が正義の名においてむき出しになるだろう、といっています。ゴネドクの世の中に。彼は民主主義の支持者なんですが、予言しています。百四十年前の本 に書かれていることが今日、驚くほど極端な形をとって現われている。要するに民主主義の弱点を、大衆杜会が拡大した。
これも世界中どこにでもあるけれど、日本の場合、特に極端のように見えます。そういう、文化概念の喪失、国家理念の喪失、イデオロギー戦争、そして民主主義の厭な部分が大衆杜会化に伴ってあらわれてくる。
とにかくどの面からみても絶望する要因が多すぎて、まあ絶望し切っていたらこの席へも出てはこないんですけど。(笑)
「昭和史の天皇・日本」より
(つづく)