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日本で大切なものが四つある。御皇室と靖国神社と桜と富士山だ。これを忘れたら日本は日本ではなくなる

2012年06月21日 22時42分36秒 | 無題

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。

どこの国でも、その国のために戦った兵士の追悼施設は最大の敬意をもって、国中の人が訪れ慰霊します。それに反対するなどという人は、まず絶対にいません。これは世界中で、ほとんど常識であり、またその国に他国からの元首が訪れた場合に、その国に最大の敬意をはらう儀式は、その国の追悼施設を訪れることだとされています。それくらい世界では、祖国のために戦って亡くなった人々を尊敬し大切にするのです。

靖国に参拝することを反対する人々がいるのは、こうした世界の常識からすれば、驚きの行為です。首相が靖国参拝すると反対するのは、日本だけの持つ自虐史観のためです。そういう人々は、太平洋戦争は侵略戦争だったといい、日本は悪いことをしたといい、靖国にはA級戦犯が祀られているからといいます。

太平洋戦争という名前は、アメリカ側からの呼び名で、日本はずっと大東亜戦争でした。大航海時代と称する、日本では戦国時代に当たる時代から、西洋人はアジア・アフリカを始め白人以外の国に、植民地を求めて侵略をはじめました。アジアは、植民地にされ、奴隷のように搾取されました。そんなアジアを解放しようという旗印で日本は戦ったので、大東亜戦争と名付けたのです。実際に、アジアの多くの国では、一時的にも白人を駆逐した日本が統治することで、教育と訓練を受けて、白人に対抗する力を得ました。日本が負けたあとに、再び白人が戻ってきましたが、独立運動が盛り上がり、二度と植民地にすることはできなくなりました。

これのどこが悪いというのでしょうか。日本は、数百年間にわたる白人支配の歴史に終止符を打つきっかけとなったのです。

またA級戦犯といいますが、ABCの区別は、別に罪の重さのレベルではありません。むしろA級と言うのは、平和に対する罪という意味の曖昧なもので、それまでの国際法にはなかったものです。戦争の共同謀議などと言われていますが、戦争をする権利は、どの国にも認められた権利であり、また共同謀議などというものは、日本の側には無かったのであり、今ではむしろルーズベルトがコミンテルンの工作にのせられ、ルーズベルトが仕組んだわなに日本がハマったのであることは、ベノナ文書の解読で、わかってきています。A級というのは、あとからつくった罪であり、いわゆる法治主義では遡及法という禁断のやり方であり、そんな事までして、連合国が日本を裁いた復讐のための裁判が極東軍事裁判なのです。

だから日本は東京裁判で死刑になった人々を戦没者として扱って、靖国に祀ることにしたのです。それはまだ占領期が戦争の継続期間であるからです。

アメリカは、巧みに日本人を改造し、二度と彼らに刃向かわないようにするために、洗脳をはじめました。言論を統制し、あらゆる文書を検閲し、しかもそれを行なっていることを厳重に秘密にして、いかにも日本人が自然にそうなったかのように、操作して教育を変え、愛国者を公職追放し、共産党員を要職につけ、憲法を変え、国際法で占領統治でやってはいけないとされていることをいっぱいやって、日本国家が弱体化するように仕組んだのです。

そのために、我々日本人は、祖国のために戦ってなくなった人々を、侵略者といって貶め、慰霊も殆どの国民は顧みず、首相も参拝せず、天皇陛下にも親拝をできなくさせ、支那韓国の顔色をうかがって、国の誇りさえ守れない日本になってしまっているのです。

 

 


 
「イナボさん、今度は靖国で会いましょう」
このように言い残した日本兵たちを思い出すといつもイナボさんは涙ぐんでいました。 
戦前は日本領であったパラオ。そのパラオ共和国で政治顧問にまでなったイナボさんは、大東亜戦争中ペリリュー島で日本兵たちから戦車に対する肉迫攻撃の訓練を受けていました。
パラオの人たちは日本の兵隊たちと一緒にペリリュー島を守るつもりでしたが、中川守備隊長はパラオ人全員をパラオ本島に移して日本軍人だけで米軍と戦いました。
それを知るイナボさんは日本軍人に対して申し訳ないという気持ちを大変強く持っていました。
その一方でイナボさんは現代の日本人についてこう語っていました。
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私は日本の雑誌をよく読んでいます。それで一番こたえるのは日本の総理大臣が8月15日に靖国神社にお参りに行こうとするとそれを反対する人がいるんでしょう。戦争の悲惨さを知らないからそんなことを言うんでしょう。私からすれば反対するなんて「何でですか!」と思います。
戦争末期、米軍の空襲で私の戦友たち、日本の兵隊さんが次々とやられました。それは本当に悲惨で、あの悲惨さは経験した人でないとわかりませんよ。
どの兵隊さんも、死ぬ時に「イナボさん、日本が勝つにしても負けるにしても、いずれ戦争は終わる。終わった時に日本へ来るようなことがあったら、靖国神社にいますからお参りに来て下さい」と言っていました。
何万人という人が死んでいるんですよ。その目的はたった一つ。日本の国のために、日本の社会のために、日本の国をよくするために、そして東亜の安定のために死んでいるんでしょう。
その人たちを祀っている靖国神社に参拝するのを反対するというのはどういうことですか。
日本が負けたからそういうことを言う人もいるんでしょうね。勝っていたらそんなことは言わないんでしょう。しかしそれは卑怯ですよ。勝った側に味方して自分の国の戦死者を悪く言うなんて、それは卑怯です。
戦争というのは誰もやりたくないです。しかし、現在でも戦争は絶えない。どこの国にも戦争はあります。その戦争で自分の国の人が苦労した、命をかけた、その人たちを尊敬しないことに、私は賛成しない。
私は日本へ来るたびに靖国神社にお参りに行きます。
「靖国神社に来て下さい」と日本の兵隊さんは言っていましたから。
人間の魂があるのかないのかはわからないけれど、彼らは死ぬ前にそう言っていたからね。・・・
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昭和63年4月26日、イナボさんは娘と姪を連れて日本にやって来ました。天皇陛下が御病気なのでパラオからお見舞いに来たのです。
4月29日の天皇誕生日には皇居参賀し、日の丸とパラオの国旗をちぎれんばかりに振って「天皇陛下万歳」と何度も唱えました。
イナボさんは「陛下のお元気な声を聞けて、安心して帰れる」と言い、皇居外苑の楠公さんの銅像に参り、靖国神社に参拝しました。
 
「日本で大切なものが四つある。御皇室と靖国神社と桜と富士山だ。これを忘れたら日本は日本ではなくなる」
かつて日本の教育を受けたイナボさんはこう言ってパラオに帰っていきました。
 
 
 
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」