さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。
崔三然(さい・さんぜん)氏のことは、今回はじめて知りました。以前にも、戦前を知っている韓国人には、実は親日が多くいるけど、それを口に出せないでいるという話は聞いたことがありましたが、まあそういう方が少しはいるかもしれないけど、だからって、そういう方たちは、もうお年だし、若者がほとんど反日では、この国とはやっていけないなという気持ちでした。
しかし、今回この崔三然氏のお話を聞くと、台湾の親日の方々が、かつては日本を祖国と呼んでいた感情が未だに残っており、元日本人として日本を強く応援してくださるのと同じものが、韓国のこうした人々の中にあるのを感じました。この元日本人としての誇りという言葉には、熱いありがたい気持ちが湧いて、日本の自虐史観を払拭しろと励まして下さる声に応えたい思いです。
とはいえ、若い世代の反日にはやはり、怒りを感じますね。しかしこれは日本人の自虐意識が、こうした反日を生み出してきているとも言える気がします。いわば付け込まれているといった感じだと思います。日本人が自虐意識を払拭して、誇りを取り戻せば、反日は収まってきて、崔三然氏のような方々の声がきちんと伝わるようになるのではないでしょうか。そのためにも、日本は早く誇りを取り戻して、元日本人だった方々の生存中に韓国の反日意識をひっくり返したいものです。
崔三然氏の講演会
よく言われることですが、台湾は親日で韓国は反日であると。
しかし、韓国でも統治時代の人たちは日本の功績を認めている人が多いのも事実です。しかしそれを口に出して言えないということでしょう。
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元韓国空軍大佐 崔三然講演会
~日本こそは誇りを取り戻し、復活すべき国である ~
私は昭和18年、少年兵として志願し、陸軍幼年学校に入校した。
当時朝鮮半島から来て見ると、東京立川の様子は朝鮮半島とさほど大差は無かった。逆に言えば、当時の朝鮮半島は相当インフラ整備が進んでいた、ということである。
戦後60年、日本は安定した成長で経済大国となった。一方、朝鮮半島には一時も静かな環境は無く、朝鮮半島の精神文化面には半島のこの不安定さが大きく影響していると思われる。
私の娘は東京の大学を卒業し日本で20数年暮らしているが、いつも日本に関する鋭い指摘をしてくれる。私が日本と韓国を比較して、現在のインフラの差異やマナーの差異を嘆くたび、娘は「お父さんは比較できない物をわざわざ比較しては嘆いている」と言って私を笑う。
なぜ、日本人は日本を誇りに思わないのか。日本人はいまだ敗戦による自虐史観等に影響されている。伝統文化、精神文化の発達した立派な国であると、まず自覚せよ。
かつて、他の外国人、例えば英国人のイザベラ・バードなども、一様に日本の国民性や文化を誉めている。日本人の感性は世界でもずば抜けており、だからこそものづくりの匠の国となり、様々な商品を生み出しているのだ。
昨今の円高についてであるが、日本では円高を嘆く声ばかりが聞かれる。しかしこれは日本に対する世界の信用の現われでもあることを忘れてはならない。誇りに思うべきではないだろうか。
ちなみに韓国のウォンなどは逆に暴落し、ウォン:円がかつては10:1だったものが、今や16:1である。私の韓国軍人年金の300万ウォンも、日本に持ってくれば30万円だったものが20万円弱となり、随分使いでが悪くなった。
日本には他国では見られない、法治・順法精神・社会正義を好む姿勢がある。水戸黄門のドラマなどが大人気であるのもこのためだ。
「日本の精神文化は世界遺産に登録すべき」というのが、私の持論である。
いつも「朝鮮半島」というと、(反日的な言動を思い浮かべて)みんな「ああ、もう結構!」と思うかもしれないが、実際には良心的な朝鮮人は日本を評価している。 日本こそは誇りを取り戻し、復活すべき国である。
私 が3歳~5歳の頃(1931年~1933年頃)、朝鮮半島では目ざましい勢いでインフラ整備がなされていった。漢江は労働者も日本人1.5万人に朝鮮人5 万人の計6万人、当時半島で最も活気に満ちた都市であった。私は日本人・朝鮮人が半々の学校に通った。現在でも同窓会が開かれている。
そこで差別を受けて喧嘩したなどの記憶は無い。社 会が非常に安定しており、これは日本人も朝鮮人も法的に平等であったことが大きいと思う。人種間の多少の感情的なものがあっても、制度上の差別が無いとい うのは社会として上等である。例えばインドと比較してみればよい。インドは朝鮮半島と違って、インフラ整備も遅れ、識字率も低いままだ。 大変な金額を投じて日本は朝鮮半島を整備したのだ。
半島における日本の統治の特徴としては、
「日本には誠実な統治の姿勢があった」
「日本軍の軍紀が厳正であった」 この2点が大きい。
当時の世界情勢から見れば、外国人から見ても日本の統治は非常に誠実なものであった。
また当時の軍隊の教育を受けた者は、その事を今も誇りに思っている。
私の同期は皆、今や武士のように立派な紳士ばかりである。
リッ トン調査団が、報告書を作るのに大変苦労したという逸話がある。調べてみると、日本の植民地統治が完璧であったので、慌てたのだ。当時、白人国家の植民地 統治とは、殺人・略奪・強制的混血による民族「浄化」といった野蛮なもの。白人は、日本の完璧で誠実な統治を恐れたのである。 しかし、日本人が自虐史観に陥れば、共産主義がそこに付け入ってくる。アメリカが敢えてその状況を許していることを忘れてはならない。
私は少年兵として終戦を迎えた。戦争末期には、アメリカの物量作戦に対抗するため、日本は空襲があっても戦力温存のためにただ飛行機を別の飛行場に退避させるだけ、という事も続いた。
水戸にいる時、1000機の艦載機が飛来した。東京大空襲だった。
戦時中、昭和12年から、朝鮮半島でも志願の士官学校制度が始まった。400名の募集に対し、20倍の志願があった。自分は学校で募集を聞くや否や真っ先に手を挙げた。日本人にさえ先駆けて最初に志願した朝鮮人の2人の内の1人で、それがとても自慢だった。
当時、半島も本土も間違いなく一体だったのである。戦後マッカーサーが、「日本の戦争は自衛戦争であった」と言ったが、この証言に尽きる。資源の無い国日本が、封鎖されてやむを得ずの戦争だったのだ。 現在日本では、2億トンもの原油を輸入し、5千万トンを備蓄している。
昭和16年当時、日本には850万トンの原油備蓄があり、その中から1年で750万トンを消費した。終戦時はどうであったか。日本にはわずか36万トンの備蓄しか残されていなかったのである。
日本がどれだけ困窮した中で戦っていたかがわかるだろう。
しかし、日本は戦争では負けたが、地球上の陸地の85%にも及んでいた植民地支配を終わらせた。白人優位社会の世界から、有色人種を無視できない世界へと変わったのだ。
アフリカとアジアを比較すれば、アジアは日本があったからこそ向上したのだとわかる。
私が戦時中を思い出して心が痛むのは、軍人のみならず一般人の犠牲者が非常に多かったことである。
韓国の日本大使館の前に、慰安婦の石像を建てる話などが持ち上がっている。とんでもない。
慰安婦達は大変結構な給料をもらって働いていたのだ。もしも皆さんが中国や韓国が本当に事実を知らずに南京大虐殺や従軍慰安婦問題を言っているのだと思ったら、それは大間違いだ。
彼らはわかって言っているのだ。そうして日本の反応を引き出し、それをまた材料にして騒ごうと思っているのだ。日本はそんな手に乗ってしまってはいけない。日本人はあまりにも良心的で素直過ぎる。こういった問題には別の方角からのアプローチが必要だ。国際協調など他国を味方につける等考えるべき。
蒋介石の手口、他国に働きかけ、ついにはアメリカやロシアを取り込んでしまったやり方も参考になるだろう。
「従 軍慰安婦の碑?何言ってんだか…。あの女性たちは、大変結構なお給料をいただいておってだねえ、当時は日本からもその筋の女性たちが大挙して働きに行った んだよ?朝鮮で、嫌だと言う女性をぎりぎり(無理やり)捕まえる必要なんか、全然無かったんだから。そもそも当時は同じ日本で、日本国民で、同じ法律です よ?そんな事をしたら大騒ぎになるだろうが」
「た だ、当時の本土と同様、親のために泣く泣く売られていった娘もいただろうし、女衒(ぜげん)に騙された女性もいただろう。そういう話は聞いた事がある。そ ういう女性は大変気の毒だとは思うが、日本が国としてそういうことをやったか、と言えば、それは絶対無い。これは断言できる」
か つて先達がなぜ韓国を併合したのか考えてほしい。朝鮮半島は未だに日本にとって緩衝地帯なのだ。日本は誇りを取り戻し、先達のやってきた事の検証をし、英 霊達の検証をし、世界のリーダーとして再び立ち上がるべきだ。現在の世界にはモラル面において国連なども全くその機能を果たしていない。世界には正義が必 要であり、それを取り戻すのは日本だ。そのためにも中国に効果的に対応すべく準備が必要だ。
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嘘は暴かれ、そして真実は変えることが出来ないのです。
先達に我々日本人は誇るべきことはあっても、恥ずべきこと、謝罪すべきことは何もないのです。
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