小さな自然、その他いろいろ

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今も各地にある明治天皇の記念碑。

2012年06月19日 14時07分41秒 | 天皇、皇室

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とうからの転載です。

戦後、昭和天皇の御巡幸によって、日本人はみな感激して廃墟の中から立ち上がって復興を成し遂げました。今回の東日本大震災でも、御高齢の今上陛下が手術を受けられるくらいのご体調にもかかわらず、何度も被災地を慰問され、被災者一人ひとりと膝を折って話されました。また手術後間もない時期にもかかわらず一周年式典に出席されました。

それは明治の時代、明治天皇もやはり同じでした。国民の様子を実際に自分の目で見ようと遠くまで御巡幸されたようです。また幕末戊辰戦争で敗れた東北地方の人々を慰撫し励まされようと、交通手段の不便な中、肉体的労苦も厭わずに心魂を傾けられました。北海道もあわせて、旅は50日にも及んだそうです。

我が身のことをかえりみることなく、国民の為、国家のために尽くされる伝統は、歴代変わらずに続いているのです。だからこそ、2600年に及んで絶えることなく国の始めからずっと続くことが出来たと言えるでしょう。

ルソーはその『社会契約論』のなかで、

「人もし随意に祖国を選べというなら、君主と人民の間に利害関係の対立のない国を選ぶ。自分は君民共治を理想とするが、そのようなものが地上に存在するはずもないだろう。したがって自分は止むを得ず民主主義を選ぶのである。」

と言ったそうですが、まさに日本こそ、ルソーのいう君主と人民の間に利害関係の対立のない君民共治の理想の国家そのものですね。

 

 

 

 
 
かつて日本には「陸軍記念日」と「海軍記念日」がありました。
日露戦争の奉天大会戦の勝利の3月10日を陸軍記念日とし、
日本海海戦の大勝利の5月27日を海軍記念日と制定したのです。
乃木も東郷も大山ありしも、明治の日本人の高貴なる精神は明治大帝あってのものでありましょう。
 
白人たちはアジアに植民地を求めて進出してきた時、日本も欧米列強に征服支配される恐れがありました。260年に渡る徳川幕藩体制は対外的な対応力を失い、国中が開国か鎖国か、朝廷か幕府かで激動していました。こうした中で尊皇攘夷の中心となっていた父・孝明天皇が崩御し、慶応3年1月、明治天皇は16歳で皇位をお継ぎになられました。
 
慶応3年10月、徳川慶喜は大政奉還を行い政権が700年ぶりに朝廷に返されました。これを受けて明治天皇は同年12月に王政復古の大号令を発します。翌年の明治元年3月、明治天皇は「五箇条の御誓文」をもって施政の大方針を示しました。東京遷都、版籍奉還、廃藩置県、5年学制頒布、鉄道の開通、太陽暦の採用など行いました。
明治22年、明治天皇は大日本帝国憲法を発布、翌23年には帝国議会を開設し、また教育勅語を下賜されました。
 
こうしてわが国は明治天皇の下、わずか半世紀の間にアジアで初めての近代化に成功し、文明開化、富国強兵、殖産興業、教育の普及、文化の向上など欧米に並ぶ近代国家として躍進していきました。
 
明治天皇は6度に渡って地方御巡幸をします。ま だ交通手段が発達していない時代ですから馬車や船による旅行は身体的に大きなご負担だったことでしょう。しかし明治天皇は自分の目で国内各地の様子を見、 また国民に接し、直接世情を知りたいという強い希望を持っておられたのです。御巡幸は2ヶ月の長期に及ぶこともありました。今日も各地に明治天皇が御巡幸された記念碑が建てられています。
 
 

 

 

 
 
 
 
 
 
明治時代の最大の危機は日清・日露戦争でした。これらは日本の国運を賭けた戦いです。
明治天皇はその間、常に国民の先頭に立ち国利民福のためひたすらご尽力されました。
そして出征兵士と苦労を共にするというお考えから、炎暑の最中でも冬の軍服を着用されておりました。
 
とりわけ日露戦争の際は天皇は非常な心労を続け、それがもとで健康を害し、明治45年7月30日、多くの国民の号泣の中、61歳で崩御されました。
大正元年9月13日東京青山において御大葬が行われ、翌14日京都南郊の伏見桃山陵にお鎮まりになりました。
 
明治天皇の日常生活は質素を旨とし、自己を律すること厳しく、その御代はひたすらに公のために尽くし、私を省みないご生涯でありました。国民の安寧と国民との結びつきの御心は皇室の伝統として代々伝えられてきた不変のものです。幕末から明治の時代は欧米列強から日本を守るため、急速に変革を成し遂げなければならなかった時代の変革に成功したのは明治天皇を中心に国民が君民一体となって懸命の努力をした結果でありました。
 
明治大帝が生涯に詠んだ御製の数は9万3千余首といわれています。
ここにそのひとつを記して、その伝統が今も受け継がれていることに我が国の素晴らしさ、ありがたさを感じいるものであります。
 
照につけ くもるにつけて おもふかな わが民草の うえはいかにと
(照れにつけ、曇るにつけて思うのは、わが国民の暮らしはどうであろうかということである)
 
 
 
 
 
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