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皇学-愛と誇りの学門  松浦光修先生のコラムブログから

2012年06月08日 18時32分14秒 | 無題

松浦光修先生のコラムからの転載です。

教育現場の実態はひどいものです。教科書も新しい歴史教科書をつくる会の教科書以外は、日本を悪と決めつけた教科書が多く、しかもまるで韓国や中国の主張そのままのような部分もあると聞きます。一体これが独立国の教科書かと思うような不思議な教科書で、古代の記述一つとっても、最近の研究がとり入れられておらず日本を低く評価した記述が多いといいます。日本には、日本の伝統や歴史があって、それは戦前までは日本人の共通の認識でしたが、今ではそれらはかなり失われたというか、教育でその反対が教えられているのですから、恐ろしいことです。このコラムの記事を読んで唖然としました。

しかし、日本人の奥底に流れる民族のDNAを信じて、若者に訴え続けることは、必ず少しづつ成果をもたらすという強い信念で、これをやり続けるしかありません。東日本大震災はひとつの意識の変革のきっかけになると思っています。民族の絆が叫ばれる今、一層このチャンスを逃さないようにしなくてはいけないと感じます。さもなければ、今日本はぎりぎりの段階に来ていると思います。女系天皇を擁立しようとする勢力など、日本の伝統は崖っぷちに立たされていると感じます。皇室の伝統が失われれば、日本の国柄の終わりです。

 

皇學館大学教授松浦光修先生

 現在の小学校・中学校・高校の十二年間の学校教育では、「日本人としての常識」が、ほとんど教えられていない。 それは、たとえば、「神話」「皇室」「祭祀」をはじめとして、「国旗」「国家」「領土」「国防」などに及ぶ。

か ねてから私は、「これらの“日本人としての常識”がないまま大学に入学し、いきなり高度に専門化し、細分化している講義だけを受けたとしても、それは、は たして“身についた”ものになるのであろうか、そのままでは、せっかくの“知識”も、あるいは、“砂上の楼閣”ともなりかねず、その意味で、きわめて“危 うい”ことではないのか・・・・・・」との思いを持っていた。

 したがって、「本来なら入学前に身に着けておくべき“日本人としての常識”を、学生たちは、入学後、早いうちに、かつ多様な側面から学んでもらう機会が必要なのだが・・・・・・」との思いが、年を追うごとに強くなっていったのである。

 教育現場の実態を本質から正すべく

 現在の学校現場における「反日・反天皇教育」の状況は凄まじいもので、現場の実態を具体的に把握している方であれば、事態がいかに悪化し、深刻化しつづけているか、御存じであろう。
たとえば今年も、私は学生たちから、こういう話を聞いている。

 「高校のころの現代文の授業のときに、先生が中国の反日デモの写真を黒板に貼り、『小泉が靖国に行ったから中国人民の心は傷つけられた。これは、そのことに怒った中国人民が、蜂起した写真です』と、得意げに言っていました」(一年生・男子)、
「高校生のころ、ある歴史の先生は、毎回、天皇や日本を痛烈に批判していました。日本は悪で、その根源は天皇であるとか、人は平等でなければならないのに 天皇がいるから平等にならないとか、とにかく“天皇は悪”というイメージを私たちに植えつけ、そのあと、『天皇がいなくなったほうがいいと思う人』と、私 たちに手を挙げさせました。何人か手を挙げると、それを見て、先生は満足そうでした」(三年生・男子)。

 こんな話は、枚挙にいとまがない。
さらには、こんなことを言った学生までいる。
「小・中・高の授業では、いつも日本が悪者でした。ですから『日本が悪者』と言わないと怒られる・・・・・・それが学校だ、と思っていました」(一年生・女子)。
思わず耳を疑いたくなる話であるが、これが今の教育現場の実態なのである。

 もっとも問題は、学校教育にばかりあるのではない。今年入学した一年生たちは、「平成生まれ」である。
父母は当然のこととして、もう祖父母も、戦後の教育を受けて育った世代である。

つまり今の、ほとんどの学生は、学校でも家庭でも、「反日・反天皇」の空気が、ある意味“ふつう”という中で生まれ育っているのである。それはもはや学生たちの“潜在意識”にまで染み込んでいる、と考えておいた方がよい。
「“日本人としての常識”は、どこかで誰かが教えてくれる。だから大学ではそれがあることを前提として教育できる」。
 そんな時代は…、もう終ったのである。
ならば私たちは、そんな時代にどう立ち向かうのか。(つづく)

本居宣長

自国の否定は自己の否定

 「皇學館」というのは、「皇学」という学門を研究・教育する「館(施設)」という意味でしょう。
ですから今の皇學館には、中学から大学院まで、いろいろな「施設」があるし、また大学のなかにも、いろいろな学部や学科という「施設」がありますが、広い意味でいえば、そこでおこなわれていることは、すべて「皇学」の一部なのです。

 それでは、その「皇学」とはなんでしょう。江戸時代の本居宣長という大学者の『うひ山ぶみ』という本には、こんなことが書いてあります。
「みずからの国のことを学ぶのに、なぜ特別に“なになに学”などと断る必要があろう。ただ“学門”と呼べばいいのである。(もっとも)それを“皇朝学”とでも呼ぶのなら、やむをえないが・・・・・・」。

 ここで宣長は「皇朝学」と書いています。私は、これを略したのが「皇学」だと考えております。
日本人が「みずからの国」のことを学ぶとき、それは、すべて「皇学」になります。それだけではありません。「皇学」という言葉は、幕末から明治にかけて広 く使われるようになりますが、そのころになると、「世界中の学門は皇学の一部だ」と主張する学者さえあらわれています。
けれど、“どんな学門も皇学”ということなら、いったい、皇学と、そうでない学門とは、どこで線を引いたらいいのでしょう。

 キーワードは、先の宣長の「みずからの国」という言葉だと思います。つまり、日本を「みずからの国」と認識し、敬神尊皇の心がある人が学門をする時、それは、自然に「皇学」になる。ということなのではないでしょうか。

 さて、問題となるのは、その「みずからの国」への認識です。戦後の日本人は、自国に対しては「反日の目」で、歴史に対しては「自虐の目」で見るよう、学校で“しつけ”られてきました。
はたして自分が、どれだけ、そういう“目”になっているか、その自己判断の方法を私が見つけましたので、教えます。それは、日常会話で「どーせ〇〇なんて」という言葉を、どれだけ使っているか、ということです。

 現代人の多くは、この「〇〇」のなかに、まず、「日本」が入ります。けれど、この言葉は、次々と連鎖していきます。次に自分の故郷が入る・・・・・・、次に自分の学校や家庭が入る・・・・・・、そして、最後には「自分」が入るのです。「どーせ私なんて・・・・・・」と。

 自国への否定感が、やがては自己の否定感につながるのですから、恐ろしいことです。
そういえば、この十年・・・・・・、日本では、毎年三万人以上の人たちが自殺しています。これは日清戦争でいえば約二回分の死者にあたりますから、十年で二十回分です。これは、現代人が、いかに“自己否定”に満たされているか、ということを物語っています。
                                 (つづく)

(つづき)        http://matsumitsu.exblog.jp/10763991/


 自己を否定する人は他者も否定する人です。逆からいえば自己を肯定する人は、他者も肯定する人です。

私たちは、自己を肯定し、自己の家庭・学校・故郷を肯定し、そして自国を・・・・・・つまり祖国・日本を、肯定する人になりたいと思いますが、そもそも、その“肯定”とは、どういう意味なのでしょう。それは、一言でいえば、愛です。

 「自国を愛する心」は、世界のどんな国の人たちも、もっているものです。「愛国心」というと、すぐに「ウヨク」と言って反発する人がいますが、それなら、世界中の人が「ウヨク」になります。
そんなバカな話はありません。そうではなく、「愛国心」をもっていない今の日本人のほうが、ヘンなのです。

 それでは、“愛”とは何でしょう?
世の中には、ときどき「愛する価値が・・・・・・」などという人がいますが、その言い方そのものがおかしい。なぜなら、“愛”とは“無条件”のものだからです。“条件つきの愛”などというものは、“愛”ではなく、じつは“損得”とか“打算”です。
自国を愛するのに、理屈はいりません。自国を愛して、どこが悪いのですか?なるほど、よき日本人は、一般に謙虚ですから、なんでも控えめな方がよい・・・・・・と思いがちです。しかしその謙虚という美徳も、いきすぎれば、迎合となり、やがては卑屈になります。

 じつは、先の宣長の時代にも、外国に対して卑屈な知識人たちがいました。たぶん宣長は、そういう人々に対して憤り、「わが国は皇朝(皇国)である。その国を愛し、その国の民であることに、誇りを持て!」と言いたかったのだと思います。
そして、その皇学をもとに、自国への“愛と誇り”を育てた先人たちは明治維新をなしとげ、さらには、欧米の非道な世界植民地化の波に立ち向かい、日清・日 露・大東亜戦争と、厳しい時代を戦い抜き、さらには戦後の経済的な復興をなしとげました。今日の自由で平和で豊かな生活があるのは、そういう先人たちのお かげです。ですから私たちは、先人たちに感謝の心をもつべきでしょう。
そしてそれを単なる“思い”にとどめるのではなく、報恩のおこないとして実践すべきでしょう。

 こう考えてくれば・・・・・・、今ほど皇学が求められている時代はないのかもしれません。立派な日本人になるため、私たちは、もう一度、皇学を学び直したいとおもいます。

 <受講した学生たちの感想>

「いままで自分を愛することや愛国心をもつことは恥ずかしくてダメなことだと思っていましたが、皇学の授業を受けて、今後は、もっと自分に自信をもとうと思いました」
「とても感銘を受けました。自分の日本人としての感覚、世界観が変わったように思います」
「皇学イコール天皇、イコール悪い。そのように思っていた今までの自分がバカらしいです」
「以前の自分が本当の意味での日本国、愛国心を知らなかったことが、恥ずかしいです」
「生きていて何になるのかと、ずっと疑問に思っていましたが、私の疑問の答えは、まさに皇学の中にあるのではないか、と思いました」
「『何を失っても愛と誇りがあれば、立ち上がることができる』との言葉が記憶に残っています」

 <付言>

毎年、この講義を続けてきて思うことは「“今どきの若者”がダメなのではない、若者の“心に届く言葉”をもたない“今どきの大人”がダメなのではないか」ということです。祖国の再生を他人任せにしてはなりません。
私たちは、まず自らの内に、「私にはその“言葉”があるか?」と問うところからはじめるべきでしょう。そのような“心に届く言葉”を、じつは多くの若者たちは待っているのです。(おわり)