熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

再びの富士見台

2011-11-20 20:02:50 | 

先週の日曜日、阿智の御坂神社から御坂峠まで歩いた父、

萬岳荘から富士見台頂上までは霧が深く山頂を極めないで帰って来たのがとても残念だったらしく、

もう一度行きたそうだったので・・・・

今週は母も連れて萬岳荘まで中津川の方から車で行く事にしました。

飯田から岐阜側の登山口まで行く為には、木曽の馬篭宿を通過して行きます。

馬篭峠の手前、

干し柿のある家がありました。

 

飯田の干し柿の風景と少し違います。

中山道の途中の馬篭峠には峠の茶屋が1軒ありました。

 

この峠を下ると馬篭宿に着きます。

まだ午前中なのに、

今日の馬篭宿はものすごい観光客で、人を避けて歩くのが大変な程でした。

写真にも人しか映りません。

 

以下、昨年撮った写真です。

  

恵那山を望む馬篭宿は、古い佇まいがそのまま保存されています。

 

馬篭宿を通過して国道256号線を下りきると、御坂峠への岐阜側の登山口に至る道に出ます。

 

馬篭宿までは天気はまあまあだったのに・・

先週父と昼食を食べた萬岳荘に到着すると、そこはまたしても霧の中。

それでも先週のリベンジ・・・

父は直ぐに歩き始めました。

歩き始めた時はまだ少し視界があったのに、

山頂まであと500m地点で視界が0。

ここを今日の山頂という事にして・・(山頂1739mまであと500m)

       

車に残して来た母が心配するといけないからと父を促し、

山頂まで行かずに戻る事にしました。

この秋はもう来れそうにありません。

来年の春、87歳になってからだね。

 

 

 

 

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御坂神社から富士見台ー父と

2011-11-17 22:07:21 | 飯田

阿智村園原の人里離れた山裾にひっそりと古い神社が建っています。

ここ御坂神社には・・・万葉集防人歌碑として

(現存する日本最古の和歌集である万葉集に

「ちはやふる神の御坂(みさか)に幣(ぬさ)まつり斎ふ(いわう)命は母父(おもちち)がため」

という歌が詠まれています。

歌の大意は「荒ぶる神の領域である御坂峠に(幣)を手向けて我が身の安全と無事帰還をつつしみ祈るのは、故郷に待っている父母のためである」というもので、

755年、九州北辺を警備する防人として徴発された信濃国の若者が、御坂峠を越えて行く時に詠んだものである・・・)という意味の説明書きと、

漢字で「知波夜布留賀美乃美佐賀煮怒佐麻都里伊波負伊能知波意毛知知我多米」と刻まれた歌碑が建てられています。

この古い神社の傍らを古代東山道が通っています。

この古代東山道が万葉集、防人の歌に詠まれている「御坂峠」を通って伊那地方から美濃に抜ける古道です。

     

この御坂神社には大きな古い杉の木があります。

この杉は日本杉と言われ、樹齢2000年を越していると書かれていました。

    

父はこの古木を前から後ろからじっと見つめて

「この木は根で二股に分かれてしまったから栄養を取られてしまって太くなれなかったんだなぁ・・・

もっと太くなれたはずだが・・」と私を呼んで言いました。

父の哲学は自然から学ぶ事が多い・・それだけに樹木や植物を注意深く見つめます。

 

この日の飯田地方は午前中濃霧注意報が出され、辺りが真っ白で身動きが取れず、

昼近くなって父とこの御坂神社に向かいました。

この古代東山道を通って富士見台まで行く為でした。

  

御坂神社に車を停め歩き始めました。

今は綺麗に下草が刈られ登山道は歩きやすい道に整備されています。

 

1200年以上も前の信濃の国の若者もこの地を踏んで御坂峠を越え、信濃の国を後にした記述が残されている事って凄い事です。

この時代の防人の任期は3年であったが、当時としては生還しがたい厳しい兵役であったと言われています。

どんな思いで信濃を後にしたのか、思うはきっと残して行く年老いた両親の事だったのであろうと・・、

自分の命は惜しくはないが、帰還を待ちかねている両親の事を思う時、

無事に帰って来なくては・・・と峠の神に祈ったのだろう。

  

もう葉が落ちて晩秋の装いの山道は、急登な箇所はなく、

「昔の人達は足が丈夫だったんだなぁ・・・この道を通って岐阜に出たんだ」と

父と二人で話しながら古を思い起こすこの時間は、

きっととても大切な時間に変わって行くのだろうと思いながら

私はもう一度父の顔を見ました。

 

約2時間で御坂峠近くの萬岳荘に着きました。

富士見台は霧のため真っ白。

ここで持って行ったおにぎりを食べ帰路に着きました。

  

この萬岳荘までは岐阜の方からは車で入る事が出来ます。

 

もう一度御坂神社に戻った時・・

時代が変わり社会や環境がどれほど変わっても、

人には変わらない心があり、

御坂神社の古い杉の木は、

2000年もの間その歴史を見つめ続けて来たとのか思うと、

厳かな気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

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Have a break

2011-11-15 12:12:58 | Have a break

知り合いの所のシロに赤ちゃんが生まれました。

  

すっかりお母さんの顔になりました。

    

赤ちゃんはまだ生まれて五日目です。

         

この兄弟はどうなるのかなぁ・・・・?

   

 

 

 

 

 

 

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南信州の秋ー5(もみじ平)

2011-11-13 20:49:22 | 飯田

阿智村浪合のもみじ平の風景

夏はキャンプや釣りぼりで賑わったのでしょうが、今はすっかり静かになった白樺林。  

 

山も森も・・・

緑一色だった景色が、秋色に変わっていました。

  

 浪合、蛇峠馬の背から見た風景。

近くに、中央アルプス、南アルプス、

遠くに、穂高連峰、八ケ岳が見えます。 

 

浪合、三階峰からの風景

街は霧の中に眠り、南アルプスから日が昇ります。

 平谷村、高峰高原からの風景。

緑のカラマツ林が、茶色に変わりました。

秋は空気が澄んで、遠くの山々まで見渡す事ができます。

 

 

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南信州の秋ー4(黒地の柿)

2011-11-12 20:47:05 | 飯田

根羽村、黒地地区に大きな柿の木があります。

小戸名渓谷に行く途中、立ち寄ってみました。

運転をしていると、窓から桜の花が咲いているのが見えました。

紅葉の中の桜の花。

原色で表せないこの複雑な色合いが素敵でした。

 

薄いピンクと白の混じった寒ザクラの花は透き通るように優しく、

色付いた葉っぱがはらはらと落ちる中で咲いていました。

     

寒桜を見ながら少し歩くと・・・・

 

大きな大きな柿の木がありました。 

 

 

昔話に出て来るようなこの風景ー

柿の葉が落ちた頃、もう一度行って見たいと思いました。

こんな風景が南信州にはまだ残っていました。

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