このきれいな水にはヤマメ等の川魚が泳いでいるのでしょう。
少し上流に行くと1軒家があり、栃城の井籠倉(せいろ)と書かれた建物が残されていました。
釘を1本も使っていない校倉造りの倉で、幕末時代の末期の倉だと思われると書かれていました。
少し上を見上げると、小さな学校らしき建物がありました。
民家の前を通らないと行けそうになかったのですが、ちょっと失礼して建物まで行ってみました。
泰阜村立小中学校栃城分校と書いてあります。
小さな玄関、下駄箱には4足ほどのスリッパがあり・・・
鍵のかかった窓から教室を覗いてみると、たった一つの机と先生の机。
黒板にはたくさんの白墨で書かれた文字が並んでいましたが、外からは読めませんでした。
短い廊下に掛かっていた黒板には
昭和58年3月18日 金曜日 の予定がそのまま残され・・・
その日がこの学校の最後の日、そしてたった一人の最後の生徒が卒業した日だった事を記していました。
この最後の卒業生の作った彫刻は、
栃中川に住む魚に乗って大きく手を広げ、大空に飛び立たんとしていました。
振り返って下駄箱のスリッパを見ると、
あぁ、きっと卒業式に見えた校長先生と、村の議員さん、ご両親のスリッパだったのかしら・・・と
そんな事を考えながら30年前の卒業式を想像してみると、
ちょっと目頭が熱くなって来ました。