飯田線は大嵐(おおぞれ)駅を過ぎると直ぐにトンネルに入ります。
この大原トンネルは飯田線で最長で5063mあり、
佐久間ダムが建設された事により水没した旧線の代替で作られたトンネルです。
佐久間ダム建設により、この辺りの幾つかのや当時使われていた線路は水没しました。
富山村集落を後にして県道1号線を走るとすぐ、こんな看板を目にしました。
「眼下に広がる天竜川に沈んでいるのは旧河内地区です。昭和30年に佐久間ダムが完成する前までは
村役場や郵便局があった旧富山村の中心地域でした。・・・・・・」
この細い路の先は何もなく、天竜川の中に入って行きます。
話には聞いた事があった、ダムに沈んだ村。
こうして目の当たりにすると、この地の人達の思いが伝わって来そうな気がしました。
きっと辛さや苦悩は分かり切らないのでしょうが・・・・。
当時使われていたのか、炭焼き小屋が残されています。
県道1号線(飯田富山佐久間線)を佐久間ダム方面に進むと、今歩いて来た旧富山村が正面に見え、
ホントに小さな村だったんだと実感します。
そして天竜川沿いの道を走りながら天竜川の中で見つけた物は、旧鉄道の跡、トンネルの穴でした。
渇水期には姿を現わすトンネル跡で、この辺りに「白神」と書いて(しらなみ)と読む駅があったのだそうです。
集落は鉄道と共に水没しています。
どんなに急勾配であろうが、山があろうが、谷があろうが・・・・
天竜川の流れに沿って、小さな集落の人達の暮らしを支える為に働き続けて来た飯田線(天竜峡~佐久間間)
今は伊那谷にリニアが通る時代になりつつあるのですが、
ずっと飯田線を見つめて来たら・・・
この鉄道の歴史や人々の歴史を忘れてはいけないような気がして来ました。
きっとダムに沈んだ山里の小さな集落には、花が咲き、祭りがあり、村人の笑顔があったのでしょう。
佐久間ダムに到着した頃、ようやく雨が止みました。
中部天竜の駅は、ダム建設の間は資材が運び込まれる拠点となり、今も佐久間ダム観光の拠点として賑わっています。
つづく