設計事務所を立ち上げて早20年になります。その前の10年間の事務所勤務を
含めると「祝」30年ということになります。
30年もたったので「ケンチク」への思いを少しずつ書いていこうかと思います。
そもそも、建築の世界を目指そうとしたのは、高校生の時、進路を選択するのに考えた結果です。
両親が職人であり、サラリーマンにはなりたくなかった少年であったようで、何か手に職をもって
勝負できるような人生を歩みたいと思い、いろいろ考えた結果、建築の世界に行こうと決めました。
もともと小学生の頃は絵をかくのが好きであったし、そろばんを習っていて算数も得意でありました。
数学が得意ということで、高校生の時に理系という進路をとり、その中で絵的センスも求められ、
理系的センスも必要な職業というのは自分に合っているのかなという感じでした。
そして様々な職業を調べていくうちに、調べていた本の中に「一級建築を所得すれば独立も可能」
という一文に惹かれ不純な動機で選択したのを覚えています。
今から思えば、そんなに甘いものではないのですが、当時の自分には輝く未来が待っているような
気がしました。そんなことで選択したのが「大阪工業技術専門学校」です。なぜ、京都に住んで
いながら、大阪の学校を選んだというと京都から離れたかったのです。今から思えば、京都のことも
ろくに知らないのに大阪に行くのかという感じですが、当時は自分を変えたいという気持ちが
強かったんだろうと思います。
思い起こせば常に自分を変えたいという願望があったように思います。今でも思っていますし、
それが今も落ち着いた生き方ができていない原因かもしれませんが。。。
ふっとした事がきっかけで人生って決まるようなものかもしれません。
まだ、ほんのさわりですが、ゆっくり続きを書いていこうと思います。
自分のなりたい職業が
ちゃんと見つけられて良かったですね。
今日
マンドリン仲間で薬剤師の女性と話していたら 彼女も早いうちに 自分のなりたい物を選択できたようです。
私は 特に勉強したいこともなく
OLに憧れて 4年勤めただけなので
常に「仕事」への憧れは持ち続けていましたが もう遅いですね(笑)
続編 楽しみにしています。(^^)/
やりたい職業は見つかりましたが、もう、辞めようかな~というような時もあります。
どんな職業でもあると思いますが。。。
きさらサンは「仕事」への憧れを持ち続けているのであれば、遅いというより、何かそれに縁のある仕事って結構あると思いますよ。
高校3年の娘が薬剤師になりたいようです。どうなるんですかね~。頑張っているようですが。
久々に週一ぐらいで書こうと思っていますので、続編、よろしくお願いします~。