*今、7月25日まで、春日部市市民活動センター(ララガーデン隣のビルの4階)で、平和のパネル展示をやっています。ご自由にお持ちください”と、庄和の住人さんが書いた<戦争体験記>4冊セットが目をひきます。
旧庄和町時代に、役場が発行したもので、各集に40人ほどの人が執筆しています。第1集;平成3年7月、第2集;平成4年7月、第3集;平成5年7月、第4集;平成8年7月に発行されたものです。ざっと20年前の発行です。執筆者の多くは、大正生まれの人、今や鬼籍に入いられた人が少なくないでしょう。もう、その時代を話せる人はいなくなったのです。
むろん、元兵隊の体験記が多いのですが、銃後の守りといわれた残された家族の手記、そして、昭和生まれの〝敗戦後の生活”の原稿もあります。
・・・ワタシも何か、<こどもにもあった戦争体験>を書いておくべきだった。原稿を募集していることも知らなかった。懸命に埼玉都民をしていた時代でしょうか。
・・・この戦争体験記の執筆者、編集委員で知っているひとは1人2人です。
こちらのパネルは、2011年3月11日の東北大震災、当日の東北4紙のフロント面(左パネル)。翌日から一面トップは、フクシマ原発事故に変わります(右パネル)。
津波被災のアトカタもなくなった街のようすは、日本が戦争をしていた時代、1945年の日本各都市にあった、米軍空襲の跡のようだ、・・・と、識者が書いていました。戦災という言葉で片付けられていました。
震災と戦災、大震災と大戦災、そしてゲンバクとゲンパツ、です。
結局、いずれも被災者、被災家族にとって、・・・・どうしようもなく、自力で立ち上がるしかないのです。
誰も助けてはくれません。もちろん国は、何にもしてくれません。
天災は、<運が悪かった>でもしかたないでしょう。
しかし、戦災、ゲンバク、ゲンパツは、人災です。やられ損には、怒りをおぼえます。