鬼杉の裏には窟がある。
そこから沢をわたり、登って、下って、登って、下って登って下って登って下って・・・をくりかえすこと55分。
やっと玉屋神社に着いた。
途中鎖場があったり、ロッククライミングのような岩をよじ登ったり
本当に大変だった。
古い由緒書きには「高天原この堀にて瓊瓊杵尊御降生おそばされ日向之国に天降り給いし霊地」とあります。
般若窟とある。
英彦山の古い記録「彦山流記」では彦山の始まりは、玉屋窟であるといわれています。彦山の開祖はこの窟で修行した、恒雄という人だったのです。恒雄は、この窟でながいあいだ一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うためにたいへん役立つ不思議な力を持つ珠)を授かりました。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたのです。珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。
英彦山には修行のための窟が49ヵ所あったということで、いままでの調査では48ヵ所まで推定できています。まだあと1ヶ所だけ分かっていません。(添田市サイトより)
ここからは30分くらいで着くはずです。
果たして着くんでしょうか・・・
そこから沢をわたり、登って、下って、登って、下って登って下って登って下って・・・をくりかえすこと55分。
やっと玉屋神社に着いた。
途中鎖場があったり、ロッククライミングのような岩をよじ登ったり
本当に大変だった。
古い由緒書きには「高天原この堀にて瓊瓊杵尊御降生おそばされ日向之国に天降り給いし霊地」とあります。
般若窟とある。
英彦山の古い記録「彦山流記」では彦山の始まりは、玉屋窟であるといわれています。彦山の開祖はこの窟で修行した、恒雄という人だったのです。恒雄は、この窟でながいあいだ一心不乱に修行を積んで、如意の宝珠(世の中の人々を救うためにたいへん役立つ不思議な力を持つ珠)を授かりました。その珠は窟の奥から小さな倶梨伽羅(竜)が口にくわえて細い水の流れにのって現れたのです。珠が出現したことから、それまで般若窟と呼んでいましたがそれを改めて、玉屋窟と呼ばれるようになりました。
英彦山には修行のための窟が49ヵ所あったということで、いままでの調査では48ヵ所まで推定できています。まだあと1ヶ所だけ分かっていません。(添田市サイトより)
ここからは30分くらいで着くはずです。
果たして着くんでしょうか・・・