「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

神宮外苑の銀杏並木

2007年12月10日 21時51分50秒 | 心子、もろもろ
 
 一昨日、今年も恒例の 神宮外苑・銀杏並木を見てきました。

 全国的に紅葉の時期が 遅れているので、行くのを例年より 1週間ずらしました。

 毎年だんだん 黄葉に異変が見られます。

(昨年の記事 http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/43020328.html )

 温暖化や気候の変化も 関係しているのでしょう。

 今年 まず驚いたのは、

 銀杏の葉っぱが だらんとしおれたように、垂れ下がってしまっていたことでした。

 何が原因でしょう? 

 遅く行ったので 葉が散ってしまっているのかどうか、

 葉のボリュームが少なくて、貧相な感じもしました。

 まだ緑が 残っている葉もあり、ピークを過ぎたということではない と思うのですが。

 また 落ち葉を見ると、切れ込みの深く入った葉が 多くありました。

 それは雌の葉で、切れ込みのないのが雄 という説もありますが、

 それは俗説だそうです。

 元気のいい木には 切れ込みの葉が多い という意見もあったのですが、

 実際のところは どうなのでしょう。

 全体的に 黄葉の色は見事でしたが、

 年々 心子との想い出の場が 色あせていくようで悲しいです。(;_;)
 

 今回はちょうど友だちから 絵画館のチケットをもらったので、

 初めて入館してみました。

 絵画館は 聖徳記念絵画館といい、

 明治天皇と皇太后の業績を 絵画として残しているものです。

 天皇の誕生から崩御まで、歴史的な出来事とともに、

 80枚の日本画と洋画で 描いています。

 大政奉還,明治維新,日清・日露戦争など、

 激動の明治時代を統治した 明治天皇の生涯を 垣間見てきました。

 さて、来年の銀杏並木は どのようになっていることでしょうか? 
 

「フラット革命」 第三章 「組み換えられる人間関係」 (3)

2007年12月09日 20時30分17秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51609716.html からの続き)

 荒野のような インターネットに対して、

 マイミクシィ (友だち) で つながっているミクシィは、関係が絞られています。

 自分のページには プロフィールや日記が 載っているため、

 それに紐づけされる形で、自分の発言に 責任を持たなければならなくなります。

 そこが匿名掲示板などと 異なるところです。

 ブログでも そういうやり取りはできますが、ミクシィでは、

 パーティーで知り合った人に 声をかけられ、

 意見を交わすような 感覚があるといいます。

 ミクシィの日記で 話題を投げかけると、連鎖反応のように 対話が発展していきます。

 そこでは テーマが中心ではなく、人間が中心になって、

 パブリックとプライベートの 中間の状態ができています。

 日記で生まれるものは プロセスそのものであり、目的は重要ではありません。

 プロセスに参加することが 重要ということです。

 ネットの世界では 読む側と書く側が融合し、作者に読者がコミットし、

 読者は同時に 作者となっています。

 作者と読者の フラット化です。
 

 また、ミクシィでは 「人間関係の相対性理論」 と 称するものが起こります。

 昔の同級生と再会したり、

 マイミクのマイミクを通じて、実社会では 決して関わらない人たちが つながったり、

 空間も時間も超えた 人間関係が生まれるのです。

(佐々木氏は書いていませんが、“時空のフラット化” と言えるのかもしれません。)

 こうしたソーシャルの仕組みは、仮想空間だけだった ウェブ世界でなく、

 リアルの世界への接点を 実現していきます。

 バーチャルとリアルが融合する、新たな世界なのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51657504.html
 

「フラット革命」 第三章 「組み換えられる人間関係」 (2)

2007年12月08日 23時31分54秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51592751.html からの続き)

 これは 本やDVDなどだけでなく、

 ネット上のあらゆる現象に 当てはまるといいます。

 消費者と商品に限らず、視聴者とテレビ、個人と個人などが、

 ひとつひとつの 縦軸は小さくても 横軸が膨大という ロングテールによって、

 新たなマッチングが生じ、社会を再編成していると。

 例えば、今まで マスコミというフィルターによって 世間と隔絶されていた視聴者は、

 ブログやBBSで 多くの知見を持った人と、

 ダイレクトにつながることが 可能になってきました。

 これが、マスメディアの秩序を 崩壊させる要因になっています。

 個人と個人の 出会いも同様で、これまでは 出会えなかった人たちが、

 ネットを通じて 時間や空間を超えて つながるようになっています。

 そこでのキーワードは、「セレンディピティ」 です。

 「セレンディピティ」 とは、偶然を捉えて 幸運に変えてしまう 能力のことです。

 いかなる権力や組織にも コントロールされない、人と人との知識が出会い、

 ぶつかり合い、新しい知--集合知を 生み出していくのです。

 ネットの本質は、単体の記事に あるのではなく、記事と記事が 互いに影響しあい、

 新しい価値を生み、変化していく、その共鳴の中にあります。

 その作用が、「ミクシィ」 にあるといいます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51621682.html
 

「フラット革命」 第三章 「組み換えられる人間関係」 (1)

2007年12月07日 21時20分11秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51578986.html からの続き)

 インターネットの本質が あらわになってきたのは、2004年頃だといいます。

 双方向性やフラット性などが、技術の進歩によって

 ようやく 実現できるようになったのです。 (「ウェブ2.0」)

 そのキーワードとして、「ロングテール」 を挙げています。

 これは拙著 「境界に生きた心子」 のような、

 弱小本も 恩恵にあずかっているものです。

 あらゆる本の 売り上げ数を、それぞれの本ごとに グラフで表すとして、

 縦軸に売り上げ冊数、

 横軸には ベストセラーから売れている順に 本を並べていきます。

 すると 横軸の右の先の方には、

 売れ筋でない本 (縦軸のグラフが低い本) が 延々と続いていきます。

 その様子が、まるで 長い尻尾のようであることから、

 ロングテール現象 と言われます。

 そのような本は これまでは、宣伝もされず、書店にも置かれず、

 人目に触れる機会もなく 埋もれていった商品です。

 ところが現在では、ネット書店で検索すれば

 簡単にそれが 入手できるようになりました。

 それらが、塵も積もれば山となる で、

 ヒット商品に匹敵するほどの 売り上げを達成するように なってきたというのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51609716.html
 

「フラット革命」 第二章 「よるべなく漂流する人たち」 (2)

2007年12月06日 22時29分55秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51562845.html からの続き)

 90年代後半から 2000年にかけて、瑞穂さんが 苦しんでいた時期は、

 戦後日本が 崩壊していった時期と 重なるといいます。

 戦後日本の 組織・経営は 「家」 であり、

 そこには 「安心」 と 「隷属」 が 同居していました。

 しかし 90年代にこれらが瓦解し、等質な社会から 格差社会へとなっていきます。

 優れた能力を持った 一部の人は、家的な会社組織から 飛び出して

 活躍できるようになりました。

 一方で、フリーターや ニート,ホームレスなど、

 居場所をなくし、社会との糸が 切れてしまった人々がいます。

 しかし どの立場の人も、同じ状況に 巻き込まれているといいます。

 自分の立ち位置は どこなのか? 

 様々なコミュニティと どのように繋がればいいのか? 

 自分自身で 確認していかなければならないのです。

 瑞穂さんと社会を結ぶ 「糸」 が インターネットでした。

 出会い系は 体の関係だけでなく、安心感や安らぎを感じたり、

 尊敬できる相手にも 出会える。

 彼女は、出会い系に対する 世間の誤解を修正していきたい、

 そのために サイトから発信しています。

 瑞穂さんは ふたつのことを願っていました。

 インターネットの出会い系を通して 自分の存在を確認すること、

 そしてそこから、人とのきずなを 復活させること。

 そのために彼女は、出会い嬢としての 〈わたし〉 を ネットで公開しました。

 その先に 「個」 の確立された 自分を発見し、

 社会の中での 自分の位置を 特定できるのではないか? と。

 そこで彼女は、普通では得られないような 「人脈」 を得ました。

 これからの世界は ネットによって、

 〈わたし〉 が 〈公〉 に 繋がるようになるでしょうか。

 ネットによって、人は救済されるでしょうか。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51592751.html
 

「フラット革命」 第二章 「よるべなく漂流する人たち」 (1)

2007年12月05日 22時26分08秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51529389.html からの続き)

 拙著を 佐々木氏に紹介してくれた 瑞穂さんは、この章に登場します。

 平凡な家庭に 生まれ育った彼女は しかし、

 両親の愛情には 恵まれていませんでした。

 母親は口やかましく、父親は酒好きで 不在の家庭だったようです。

 25才になるとき結婚し、二人の息子を もうけましたが、

 夫の借金のため 離婚に追い込まれることになりました。

 その間の騒動で 心は病み、逃避できる場所を求めて、

 出会い系サイトに はまるようになっていったそうです。

 メールを交わした男性に 好意を持つようになった彼女は、

 遊びではなく 純粋な恋愛を 切望していたのです。

 そして 枕を共にし、「愛してる」 という言葉を 聞いたときは、

 嘘でも嬉しかったといいます。

 瑞穂さんは 出会い系という虚構の世界に 何か本当の真心があると、

 ひたすら 信じようとしていました。

 しかし、その男性は 遠ざかって行ってしまいます。

 彼女は 二人の子供を抱え、精神状態はぼろぼろになり、職も失いました。

(のちに彼女は、ボーダーの診断を 受けることになります。)

 そんなとき 友人から勧められたのが、

 出会い系サイトの サクラのアルバイトでした。

 電話で 男性の相手をする仕事です。

 彼女はそこにも 純粋な出会いを求めていました。

 実際、何人かの男性と会って 体を重ねたこともあり、

 ひとときの幸福を 感じたといいます。

 しかし、どこにも 帰属感はありませんでした。

 本当に 身の置き所がないくらい、独りでいるのが辛かったと 彼女は言っています。

(それがボーダー故の 心情でしょう。)

 離婚したことで 糸が切れてしまった。

 その糸を どう取り戻せばいいのか? 

 出会い系が、彼女と社会を結ぶ 唯一の糸でした。

 彼女のこの苦しみ,願いは、「世界と どう繋がっていけばいいのか?」 という、

 人間の根源的な 問いかけです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51578986.html
 

光市母子殺害事件・最終弁論

2007年12月04日 20時30分17秒 | 光市母子殺害事件
 
 本日、光市母子殺害事件の 弁護側最終弁論が行なわれ、

 差し戻し審は 結審しました。

 今回の差し戻し審で 出てきた、ドラえもんや ロールプレイングゲームの話ですが、

 実は 取り調べ段階の 32通の調書の中で、

 少年はすでに 全部しゃべっていたのだそうです。

 これは僕も 初めて知りましたが、

 マスコミでも どうして今ごろになって 報道されたのでしょうか。

 一審二審では  何故これらが 出されなかったのか? 

 審理を充分 尽くしたと言えたのか? 

 弁護側の、検察のシナリオだった という主張も、

 あながち 妄言だとも言えないのか……?

 早くから取り上げていれば、

 本村さんの気持ちも もっと変わっていたかもしれません。

 やはり取り調べを 可視化することが大事だと、大谷昭宏が語っていました。

 元少年が 獄中から友人に宛てた、強姦を示唆する 手紙もありますし、

 殺意や暴行の意志の有無を 判断する際に、どのような影響を 与えるでしょうか? 

 裁判所は、果たしてどんな 審判を下すでしょう……? 
 

(以下、TBS 「イブニング5」 より。)

 弁護側は 3時間にわたって、元少年の殺意や乱暴目的を 改めて否認しました。

 これまで認定された殺害方法には 事実誤認があると主張。

 さらに、元少年が犯行当時 18才になったばかりで、

 家庭で虐待を受けたため 精神的に未成熟であったことから、

 減刑の必要があると 訴えました。

 遺族の感情は 将来に向けて変わることもあり、

 現在の遺族感情だけで 量刑判断を変えることには 冷静であるべき、としました。

 最後に、主任弁護人の安田氏は 次のように述べたそうです。

 何よりも、事件や社会を受け止めて、生きていこうと決意する 被告人がいる。

 残された課題は ひとつ、彼は今後 どうやって生きていけばいいか ということ。

 元少年に 生きる道しるべを 見いだす判決を、出していただきたい。

 元少年は 差し戻し審で初めて 本当の裁判を受ける機会を 与えられたとし、

 以前の真相究明が 不充分だったと強調しています。
 

 一方、検察側は 10月の最終弁論で、

 元少年は反省するどころか 事実ねつ造をし、

 遺族に さらなる苦痛を与えているとして、死刑を求めています。

 判決公判は、来年の4月22日 午前10時に決まりました。
 

「フラット革命」 第一章 「フラット化するマスメディア」 (3)

2007年12月03日 21時37分56秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51510325.html からの続き)

 新聞記事というのは 記者の一時取材で 得られた情報に、

 分析や解説を加えて でき上がります。

 しかし インターネットの世界では、一時取材の術を持たなくても、

 優れたリテラシーがあれば 膨大な情報の中から 光る石を選んで収集し、

 自分の分析・論評を行なって、新聞以上の記事を 書くことができるのです。

 新聞は 百貨店にはなれても、専門店にはなれません。

 新聞は一時取材、ブロガーが分析・論評という、

 役割分担も 起きてくるというのです。

 以上が マスメディアの危機の3つ目です。
 

 また、社会の 「われわれ」 が喪失し、

 無数の 「わたし」 が 出現してきました。

 従来新聞記事は 無意識的な前提として、

 社会の代弁者たる 「われわれ」 を 主語にして主張をしてきました。

 しかし 「総中流」 時代は崩壊し、

 社会全体が 「われわれ」 と称して ひとつの意見を持つことはなくなりました。

 様々な立場の人が、それぞれの立場から マスコミに異議を唱えだしたのです。

 「われわれ」 は分断され、数多くの 「わたし」 が、

 自分の信じるところを 容赦なく書き込んでいきます。

 牧歌的な正義感による 建前論ではなく、タブーなき言論を 展開するのです。

 ノイズや中傷、友愛と秀逸な言論、あらゆるものが ごった煮となって渦巻く

 インターネットの世界は、生々しい人間社会 そのものではないか。

 その先にやってくるものは 何でしょう? 

(続く)
 

「フラット革命」 第一章 「フラット化するマスメディア」 (2)

2007年12月02日 19時55分02秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51497908.html からの続き)

 インターネットによる 3番目のマスメディアの危機は、ブログ論壇の登場です。

 新聞記者といえど、全ての分野に 専門的な造詣が あるわけではありません。

 ブログの出現によって、各分野の専門家が 自由に意見を 発せられるようになり、

 新聞よりも レベルの高い論評が、簡単に行き渡るようになりました。

 新聞にはよく 「識者の意見」 というのが 載るわけですが、

 その 「識者の意見」 がいくらでも ブログにアップされるのです。

 新聞記事が ブロガーによって批判され、

 マスコミと個人の フラット化が起こってきました。

 そして 検索エンジンを活用して、それらの記事を 容易に読むことができます。

 充実した内容の記事は アクセス数が増えて、検索の上位に出てきます。

 それらの記事を見て、また別の人が 新たな記事を書きます。

 さらに、トラックバックによって 記事と記事がつながり、

 低次元の書き込みは 排斥されていき、質の高いデータが 集まってきます。

 そうして次第に、専門家の英知が 積み重ねられた

 「集合知」 が 生まれてくるのです。

 そのメカニズムは ウィキペディアでもすでに証明されており、

 サイエンス部門では ウィキペディアは

 世界トップクラスの 辞書となっているといいます。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51529389.html
 

「フラット革命」 第一章 「フラット化するマスメディア」 (1)

2007年12月02日 09時57分21秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51480614.html からの続き)

 「フラット革命」 は 全体的には面白い本でした。

 インターネットによって 世界がどう変わっていくかを、論じているものです。

 4つの章からなり、まず第一章では 次のようなことが述べられています。

 これまでの社会は 新聞やテレビなどの マスメディアが、

 情報発信を牛耳っていましたが、

 インターネットによって その権威が 脅かされるようになってきました。

 マスメディアにとっての危機は 3つあります。

 匿名言論の登場、取材の可視化、ブログ論壇の登場です。

 まず匿名言論。

 著名人や作家なら、実名での言論は 自らの実績になります。

 しかし ネットで発言する 大半の人々は、無名で社会的地位もなく、

 実名を出すメリットは ほとんどありません。

 匿名だから、社会への告発や 自分の思いを つづることができます。

 また 匿名のブログは、その内容でのみ 判断されます。

 従来は 発言内容が肩書や地位で 判断されていましたが、

 「誰が言ったか」 ではく、「何を言ったか」 だけが求められるのです。

 次に取材の可視化。

 取材を受けた人が 不当な記事を書かれてしまった場合、

 従来なら泣き寝入りするしか ありませんでしたが、

 掲示板やコミュニティなどで 異議を唱える事が できるようになったのです。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51510325.html
 

「フラット革命」 に 「境界に生きた心子」 が引用 (3)

2007年12月02日 09時53分58秒 | 「境界に生きた心子」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51466890.html からの続き)

 佐々木氏の ボーダーに関する解釈は、間違いだと言うことは できないでしょうが、

 瑞穂さんが望んでいたこととは ズレがあり、本意でない書き方をされたことが

 残念でならないと、瑞穂さんは メールで書いてこられました。

 「フラット革命」 は、戦後日本の共同体が崩壊し、

 膨大な個々の人々が 共同体から切り離されて 社会に浮遊するようになった、

 という戦後社会の 大きな流れの中で 書かれています。

 浮遊する人々が、今 インターネットによって 社会と繋がろうとしている、

 という構造です。

 社会的な変化の 枠組みで捉えているため、ボーダーの 個人的な心理状態

 というものには、あまり目が向かなかった のかも知れません。

(もっともボーダーにも、社会が都市化して 共同体的な帰属が薄くなり、

 人々が孤立するようになったという、現代的な背景もあるわけですが。)

 取材する側の 意図によって、取材される側の 真意が伝わらないのは

 常にあることではありますが、瑞穂さんとしては 無念なことでしょう。

 瑞穂さんは 出会い系の仕事の体験や、皆に知ってほしいことを、

 自らホームページに 書き込んで発信しています。

 「出会い系嬢の憂鬱。」 というのが そのサイトです。

 出会い系という、僕も今まで 知らなかった世界のことや、

 瑞穂さんの心情が、彼女の真摯な目で 描かれています。

 決して いかがわしかったり、我々の先入観のような 世界だけではない

 ということが分かります。

 よかったら ご覧になってみてください。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51497908.html