「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

裁判員による 境界性パーソナリティ障害の責任能力の判断 (2)

2010年06月16日 20時16分32秒 | 凶悪犯罪と心の問題
 
(前の記事からの続き)

 公判後、 鑑定医は 説明の分かりにくさを 認めた上で、 次のように述べました。

 「精神鑑定は 症状だけでなく、 生い立ちや病歴から 総合的に判断する。

 個々の行動が 精神疾患に該当するかどうかだけで、

 責任能力の有無を考えるのは 本質でない。

 判決を見ると、 その点は 理解されたと思う」

 ある検察官は、 こう話します。

 「プロは 病名などに拘りすぎるのかもしれない。

 ただ、 医師の説明によって、 裁判員は 病気そのものの理解ができなくても、

 責任能力を判断する 手がかりになるのではないか」

 従来の裁判では、 被告が統合失調症かパーソナリティ障害かを 判断することが、

 判決の分かれ目になったのでしょう。

 しかし この裁判員裁判では、 病名を判断するのではなく、

 被告の 犯行時の心の状態を、 市民感覚による常識で 見極めたことになります。

 本人が 悪いことと分かっていたかどうか、 それが決め手になったようです。

 (うつ状態やパーソナリティ障害のために 執行猶予が付いたのか、

 新聞記事からは 分かりませんでしたが。)

 確かに 専門家でも、 統合失調症かパーソナリティ障害かの 診断は簡単ではなく、

 誤診されることも 多々あります。

 境界性パーソナリティ障害を 知らない裁判員が、

 それを短時間に 正確に理解するのは、 ほとんど不可能ではないでしょうか。

 その診断によって 量刑を決めるより、 被告の心に 素直に目を向けて、

 責任の大きさを考えるのが、 あるいは 妥当なこともあるかもしれません。

 判決に 診断名は必要ない……?

 非常に 難しいところではあると思います。

 裁判員制度だけでなく、 罪と罰とは何かという 本質的な問題に関わる、

 大切な問題でしょう。

〔 参考・ 引用文献 : 読売新聞, 毎日新聞 〕