「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

主文を後回し 「無期」 -- 選択の重さ (4)

2009年06月02日 20時12分15秒 | 死刑制度と癒し
 
 1995年1月、 鶴田小夜子検事 (57) は

 宮川豊被告 (54) に 死刑を求刑しました。

 三浦力裁判長 (74) は、 身の引き締まる思いがしたといいます。

 93年8月に起きた 甲府信用金庫OL誘拐殺人事件。

 借金に追われていた 宮川被告は、 雑誌記者を装って

 行員の内田友紀さん (当時19歳) を おびき出して殺害、

 信金に身代金を要求しました。

 事件は 全国的な注目を集めており、 三浦裁判長は

 「 死刑判決の方が 理解を得られるかもしれない 」とも 感じていました。

 しかし 宮川被告に前科はなく、 犯行前は 普通に勤務していました。

 自ら警察に出頭し、 犯行内容を 詳細に供述しています。

 無期懲役の判決文を 書き上げたのは、 判決公判の約1週間前でした。

 三浦裁判長は、 主文の言い渡しを 後回しにしました。

 「 冒頭で 『無期懲役に処する』 と告げると、

 被告は 死刑を逃れられたと思って ほっとしてしまい、

 判決理由をきちんと 聞いてくれないかもしれない。 」

 それは避けたかったのです。

 翌年4月、 東京高裁は無期懲役を維持。

 検察側は上告を断念して、 刑は確定しました。

 1審判決から14年。

 宮川受刑者は服役中ですが、 友紀さんの父親・ 邦彦さんは言います。

「 無期懲役は 仮釈放で社会に出てくる 可能性がある。

 それだけは絶対に許せない。 」

 鶴田検事は 遺族の思いに応えられなかった 無力感を忘れたことはありません。

「 被告が更生するかどうかは、 誰にもわからない。

 刑罰というのは、 被告がどんな犯行をしたかで 決めるべきではないか。 」

 退官した三浦裁判長は こう語ります。

「 少しでも被告に  『立ち直ってほしい』 という思いが伝われば

 と念じながら、 言い渡しを終えました。

 私は 法廷の力を信じています。 」

〔 読売新聞より 〕