1995年1月、 鶴田小夜子検事 (57) は
宮川豊被告 (54) に 死刑を求刑しました。
三浦力裁判長 (74) は、 身の引き締まる思いがしたといいます。
93年8月に起きた 甲府信用金庫OL誘拐殺人事件。
借金に追われていた 宮川被告は、 雑誌記者を装って
行員の内田友紀さん (当時19歳) を おびき出して殺害、
信金に身代金を要求しました。
事件は 全国的な注目を集めており、 三浦裁判長は
「 死刑判決の方が 理解を得られるかもしれない 」とも 感じていました。
しかし 宮川被告に前科はなく、 犯行前は 普通に勤務していました。
自ら警察に出頭し、 犯行内容を 詳細に供述しています。
無期懲役の判決文を 書き上げたのは、 判決公判の約1週間前でした。
三浦裁判長は、 主文の言い渡しを 後回しにしました。
「 冒頭で 『無期懲役に処する』 と告げると、
被告は 死刑を逃れられたと思って ほっとしてしまい、
判決理由をきちんと 聞いてくれないかもしれない。 」
それは避けたかったのです。
翌年4月、 東京高裁は無期懲役を維持。
検察側は上告を断念して、 刑は確定しました。
1審判決から14年。
宮川受刑者は服役中ですが、 友紀さんの父親・ 邦彦さんは言います。
「 無期懲役は 仮釈放で社会に出てくる 可能性がある。
それだけは絶対に許せない。 」
鶴田検事は 遺族の思いに応えられなかった 無力感を忘れたことはありません。
「 被告が更生するかどうかは、 誰にもわからない。
刑罰というのは、 被告がどんな犯行をしたかで 決めるべきではないか。 」
退官した三浦裁判長は こう語ります。
「 少しでも被告に 『立ち直ってほしい』 という思いが伝われば
と念じながら、 言い渡しを終えました。
私は 法廷の力を信じています。 」
〔 読売新聞より 〕
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