「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

揺れ動き

2009年02月20日 21時45分39秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
(前の記事からの続き)

 僕は自分の姿を 取り戻しかけましたが、

 それでもまだ、 揺れに揺れ続けました。

 それまでの 極端な自分から抜け出し、

 相手の立場になって、 異なった視野で 考えようとしていました。

 しかし、 純粋な理想を 捨てきることもできませんでした。

( 「ジャン・クリストフ」 )

「 君たちは あまりに謙譲だ。

 神経衰弱的疑惑こそ 大敵なんだ。

 人は寛容で 人間的であり得るし あるべきである。

 しかし、 善であり真であると 信じてる事柄を疑ってはいけない。

 そして 信じてる事柄を 支持しなければいけない。

 われわれの力が どれくらいのものであろうと、

 われわれは 譲歩してはならない。 」

「 自分が生きてきた信念を、 どうして疑うことができようか?

 それは 生を捨てるのと 同じである。

 隣人に似寄るために、 もしくは 隣人を容赦するために、

 本当の考えとは 違う考えを装っても、 それが なんの役に立つものか。

 それは 自分を破壊するばかりで、 だれの利益にも なりはしない。

 人の第一の義務は ありのままのものとなることである。 」


(12/26)

「 そうだ、 僕には今、 わかってきた。

 潔癖さ、 切実さなどは、 多くの人にとっては どうでもいいことなのだ。

 そんなことに こだわっているから、 人のことが理解できない。

 清純と淫蕩は 極めて自然に 両立しうる。

 それでも善良なのだ。

 深刻に考えないほうが、 多くのものを フレキシブルに取り込みうる。

 世界が豊かになる。

 僕は偏屈すぎた。

 深刻ぶらない人間にとっては、 全てがいいのだ。

 僕は一皮むけたのか、 邪悪になったのか。

 どちらにしても、 今までより広いものが 描けるかもしれない。

 愚劣-- それは人間にとって、 いいことじゃないのか!?」

(続く)