「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

クリストフと 神との邂逅

2009年02月16日 21時37分30秒 | 僕と「ジャン=クリストフ」
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/57575265.html からの続き)

 クリストフは限りない 挫折と絶望の中で、 神と邂逅します。

 以下は クリストフと神との会話です。

( 最初の 「汝(なんじ)」 は神、

 「われ」 はクリストフ、 「予」 は神です。 )

「 『 汝はもどってきた。

 わが失っていた汝 …… なにゆえに汝は われを見捨てたのか。 』

『 汝が捨てた 予の仕事を やり遂げんがためにだ。 』

『 なんの仕事か。 』

『 戦うことだ。 』

『 なんで 戦う必要があるのか。

 汝は 存在するすべてではないか。 』

『 予は 存在するすべてではない。

 予は虚無と戦う 生である。 』

『 われは打ち負かされている、 われはもはや なんの役にも立たない。 』

『 汝は 打ち負かされたというか。

 汝自身のことを考えずに、 汝の軍隊のことを 考えてみよ。 』

『 われは一人きりである。

 われに軍隊はない。 』

『 汝は一人きりではない。

 そして汝は 汝自身のものでもない。

 汝は よし打ち負けるとも、

 けっして負けることのない 軍隊に属しているのだ。

 それを覚えておくがよい。

 さすれば 汝は死んでも なお打ち勝つであろう。 』

『 主よ、 われはこんなに 苦しんでいる! 』

『 予もまた苦しんでいると 汝は思わないか。

 幾世紀となく、 死は予を追跡し、 虚無は予をねらっている。

 予はただ勝利によって 己が道を開いているのだ。 』

『 戦うのか、 常に戦うのか。 』

『 常に戦わなければならないのだ。

 神といえども戦っている。 』

(中略)

『 われを見捨てた汝、 汝はまた われを見捨てんとするのか? 』

『 予は汝をまた 見捨てるであろう。

 それを ゆめ疑ってはいけない。

 ただ汝こそ もはや予を 見捨ててはならないのだ。 』

(中略)

 クリストフはまた 崇高な戦いのうちに加わった……。

 彼自身の戦いのごときは、 人間同士の戦いのごときは、

 この巨大な 白熱戦の中に 消え失せてしまった。

 彼の闘争は 世界の大戦闘の 一部をなしていた。

 彼の敗北は些事であって、 すぐに回復されるものだった。

 彼は万人のために 戦っていたし 、万人も彼のために 戦っていた。

 万人が彼の苦難に 与かっていたし、 彼も万人の光栄に 与かっていた。 」

〔 「ジャン=クリストフ」 ロマン=ロラン (岩波文庫) 豊島与志雄 訳 〕

(次の記事に続く)
 
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