「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「実録・連合赤軍  あさま山荘への道程 (みち) 」 (4)

2008年05月15日 23時55分56秒 | 映画
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/54235183.html からの続き)

 僕も若いとき、創作によって 社会を変えたいと思い、

 前衛的な思想に駆られていた 時期がありました。

 ある天才的な同人誌仲間と、現実離れした 観念的な世界に生きていました。

 社会を良くしたいという 歪んだ善意で、信念を持っていちずに 邁進していたのです。

 しかしその方向性が 間違っていました。

 ラジカルな思想を構築していき、批判精神を研ぎ澄まし、人を傷つけもしました。

 そんなことを重ねていった結果、失恋も絡んで、自分がその何百倍も傷つき、

 自分の価値観を 完全に打ち砕かれ、甚大な挫折を 体験することになったのでした。

 20代のときは、現実社会の動かしがたい重みが 分かりませんが、エ

 ネルギーと熱意はあり余り、過激に傾倒しがちです。

 それで破綻して頓挫するまで、どういう結果が待っているか

 気付くことはできないのです。

 従って僕も、連合赤軍のアブノーマルな偏向が、全く理解できないわけではありません。

(そのとき 僕を救ってくれたのは、同じアパートの友人であり、

 ロマン・ロランの 「ジャン=クリストフ」 でした。)

 それからまた、記憶に新しいところでは、あの 「オウム事件」 があります。

 信者は誰もが初めは、真理を求め、自分を成長させて、

 人のためになりたいと 願っていたはずです。

 ところが オウム真理教という ねじれた教義に染められ、

 マインドコントロールという 物理的・強制的な手法もありましたが、

 通常は考えられない蛮行を 犯すまでになって行ってしまいました。

 純粋で 高いものを求めている人間ほど、

 一歩間違えれば 常識はずれの道を 突き進んでしまうのかもしれません。

 そして 松本智津夫もまた、臆病な人間でした。

 ヒトラーも然りです。

 そういうことから考えれば、連合赤軍の暴挙は 全く不可解なでき事ではなく、

 誰もがそうなる可能性を 秘めているとも言えるでしょう。

 若松監督は、それを我々に 突きつけているのかもしれません。

 翻って現代は、長期にわたる不況で 先が見えず、

 自分の力で世の中を変える 夢想をするどころか、

 自分自身の将来さえ おぼつきません。

 社会と関わることを避けて 引きこもったり、心を病む若者が 増えています。

 30年ばかりの間に、日本は何と 変わってしまったことでしょうか。

 だが そんな社会でも、何か特殊な空間に 取り込まれると、

 時代によって 形は変わっても、同じような過ちを 犯す可能性が、

 人間の心の病的な部分には 潜んでいるのかもしれません。

 あと何年かしたら、今度はオウム事件が 映画化されるときが来るでしょう。

 そのとき我々は、何を見せつけられることになるのでしょうか。

(続く)