「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

光市母子殺害事件 第2回集中審理(4) 精神科医の証言

2007年07月27日 00時10分02秒 | 光市母子殺害事件
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49154711.html からの続き)

 昨日は、関西学院大学の 精神科医・野田正彰氏による、

 精神鑑定の証言がありました。

 元少年は 野田氏との接見で、

「弥生さんはまだ生きている。」「来世で弥生さんと結婚する。」

 などと話したそうです。

 野田氏によれば、元少年は 被害者の死の意味を 理解していないということです。

 弁護側は、元少年は 父親の虐待や 母親の自殺によって 精神的発達が遅れ、

 現実認識能力を欠いていた と主張しています。

 「精神的に未発達 または正常でなく、責任能力が充分でない」

 ということを 訴えたいのでしょう。

 しかし、人格障害も 同じような理由で生じますが (および生物学的な原因)、

 刑事責任能力はある とされています。

(心子は 犯罪とは無縁でしたが、仮に 感情をコントロールできずに

 犯罪を犯してしまったとしたら、彼女は潔く 刑罰を受けるでしょう。

 僕としては 医学的な見地から 刑の減免、または 情状酌量を望むでしょうが。)

 反社会性人格障害は、反社会的な犯罪を犯して、

 良心の呵責を全く感じない というものです。

 池田小学校で 児童殺傷事件を起こした 宅間守は、

 反社会性人格障害といわれ、死刑に服しました。

 しかし 元少年は、人格障害とも診断されていません。

 とすれば、人格が未発達などという 曖昧な理由で、

 減刑されることは ないはずでしょう。

 そもそも 犯罪というものは、人格が未成熟な人間が 犯すことで、

 多くの犯罪者は 何らかの不遇な環境で 育ってきています。

(その程度が 余りにも悲惨な場合は、情状酌量の余地が あるかもしれませんが。)

 この点でも 弁護側の論法は、無理があると思われるのですが。

 
〔追伸〕

 野田氏は、膨大な鑑定試料を 読むのが面倒で、全部は読んでいない

 ということを明らかにしました。

 野田氏は 死刑廃止論者です。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/49183925.html
 
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