7月1日(日)晴れ後曇り、夜、雨になる。22、3度。
昨日、夕方、庭先の金魚鉢、睡蓮鉢の水替えをしたついでに、包丁研ぎをしようとしていたら、玄関の方で我が名を呼ぶ聞きなれた声がする。
外流しの蛇口を止めて、玄関の方へ回ってみると、赤旗日曜版の集金に来た月一の彼であった。
いつもは、話し相手の欲しい私ではあるが、今日は、作業場の出入り口で待ち構えている彼をみて、もう日暮れが近いというのに、やりかけた仕事の手を止められた間の悪さの他に内心、やれやれ来るものが来たかという思いが湧いた。
椅子を勧め、母家からもってきた麦茶をプラスチックのコップにつぎながら、彼の今日の意図には気づかぬ振りをして、さりげなく8割がた描きあがっている絵をさして、「どう?」と感想を求めた。
ところが、彼のほうでも今日は心ここにあらずか、「ああ、仕上がったの?」と、通り一遍の素っ気無さである。
こちらは、内心、頼みごとで来るなら、もう少し相槌のうちようがあるだろうにと思う。
同時に、そんな彼の反応を見て、この作品が、他人の目にはたいしたものでないのだなと察知した。これまで一生懸命取り組んできただけに、少々がっかりした。
彼はそんなこちらの心の波立ちには頓着なく、「ああ、遊び小屋が、やっとできたよ。今週末にでも呑みに来てよ」と言いつつ、
「今、今度の参院選の候補者に公開質問状を出してその回答の一覧をつくり、地方紙に掲載の申し込みをするんだ」と、その回答書の束をみせてくれた。
そんなやりとりが一段落し、日曜版の集金をすませたところで、とうとう切り出した。
「参院選のカンパ頼むよ」と。ほうらきたである。「凄いよ。出してくれる人は、5千円もくれたよ。3人もだよ」とけしかけてくる。
「へー、それは党員?」と聞くと「違うよ。党とは関係ない人だよ」と答えた。
私は、観念して心ならずも、しぶしぶ千円札一枚を渡した。
その札を手持ちの紙袋にしまいながら、領収書をくれる様子がないので、「カンパといっても領収書は?」と嫌味を言った。
彼は、もってき推薦候補者のビラの端に領収した旨、党支部と走り書きしてよこした。 そして、ありがとうと言って暮れなずんだ闇に消えた。
私は、千円が惜しいのではない。心ならずも払わされることが悔しいのである。嫌だなと思いつつも相手の真摯な態度に押し切られる自分がいまいましいのである。
私は、共産党が嫌いである。どこの党よりも一生懸命なのは認める。赤旗の日曜版を読むと、よく調べてあっていい加減なことは書いてない。大新聞に出ないことが書いてある。やがてそれを追っかけて大新聞が記事にするという事例をここのところズーと見せられてきた。
しかし、その反面で、人間のルーズさというかあいまいさを、一切認めようとせず、許さず、自党の見解のみが唯一正しいとするような独善性がたまらなく嫌なのである。
恐らく、共産党が、政党助成金を受け取らず党費と、新聞の売り上げと、カンパだけであれだけの活動をしているというのに、支持率がいぜんとして2~3%を超えられないのは、私同様に感じて居られる方が多いからではないだろうか。
だが、さればといって自民党はもとより、今やその揚げ足取りにのみ汲々たるかにみえる民主党にも肩入れする気になれない。
まさに無党派の一人となってしまったのだ。
国会議員衆参合わせて、800人近くもいらっしゃりながら、どうして、自分たちは、この国の将来はもとより、世界人類全体や地球環境・資源との関係をこう考える。そのためには、国際関係、財政、教育、福祉、司法、国・地方の行政執行体制等を、どうしていくのかの理念と実現可能なトータルな方策を提示する、真に国民本位の政党が何故出現しないのだろうかというもどかしさである。
そのような真に信頼できそうな党が出現したならば、相応のカンパだって喜んでこちらからしたくなると思うのだが…。
冒頭の彼氏は、70歳になるというのに、何やかやで毎月党に差し出すお金は1万円になるとか。それでなおかつ、カンパをつのって暑いさなかをものともせずに、日々忙しく歩きまわっているのである。
彼は、決して盲目的に党について歩いているのではないと言っている。そんなロボットになるのは嫌だといっている。党の集まりでも言いたいことは言うそうだ。
それにしても、現在の政党助成金制度は、なんでもかんでも一定の数がまとまり、そこそこの集票ができれば、国会議員閣下として、なんとかのらりくらりと生き延びていける、最低生活か最高生活水準かはしらねども、一定の保障を与えてしまっているところに、大きな制度的弊害があるのではないだろうか。
こんなぬるま湯制度の中では、真に国民の暮らしに根ざした声を汲み上げようとする真摯な党など出てくる筈もないのではなかろうか。
人間は、悲しき性(サガ)か、生活が保障されたところから、怠惰と堕落の道を転がり落ちるようである。それは、芸術家も政治家も、公務員も会社員も、…皆同じようではないか。
恥ずかしながら、山家の隠居も、いまいましくも国策捜査のとばっちりかのライブドアショックで、なけなしの財布が空同然になって初めて、初心に還って、絵描きに専念できるようになった。
ところで、7月29日の参議院選挙。一体誰に、どこの党に投票すればいいのだろうか。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
昨日、夕方、庭先の金魚鉢、睡蓮鉢の水替えをしたついでに、包丁研ぎをしようとしていたら、玄関の方で我が名を呼ぶ聞きなれた声がする。
外流しの蛇口を止めて、玄関の方へ回ってみると、赤旗日曜版の集金に来た月一の彼であった。
いつもは、話し相手の欲しい私ではあるが、今日は、作業場の出入り口で待ち構えている彼をみて、もう日暮れが近いというのに、やりかけた仕事の手を止められた間の悪さの他に内心、やれやれ来るものが来たかという思いが湧いた。
椅子を勧め、母家からもってきた麦茶をプラスチックのコップにつぎながら、彼の今日の意図には気づかぬ振りをして、さりげなく8割がた描きあがっている絵をさして、「どう?」と感想を求めた。
ところが、彼のほうでも今日は心ここにあらずか、「ああ、仕上がったの?」と、通り一遍の素っ気無さである。
こちらは、内心、頼みごとで来るなら、もう少し相槌のうちようがあるだろうにと思う。
同時に、そんな彼の反応を見て、この作品が、他人の目にはたいしたものでないのだなと察知した。これまで一生懸命取り組んできただけに、少々がっかりした。
彼はそんなこちらの心の波立ちには頓着なく、「ああ、遊び小屋が、やっとできたよ。今週末にでも呑みに来てよ」と言いつつ、
「今、今度の参院選の候補者に公開質問状を出してその回答の一覧をつくり、地方紙に掲載の申し込みをするんだ」と、その回答書の束をみせてくれた。
そんなやりとりが一段落し、日曜版の集金をすませたところで、とうとう切り出した。
「参院選のカンパ頼むよ」と。ほうらきたである。「凄いよ。出してくれる人は、5千円もくれたよ。3人もだよ」とけしかけてくる。
「へー、それは党員?」と聞くと「違うよ。党とは関係ない人だよ」と答えた。
私は、観念して心ならずも、しぶしぶ千円札一枚を渡した。
その札を手持ちの紙袋にしまいながら、領収書をくれる様子がないので、「カンパといっても領収書は?」と嫌味を言った。
彼は、もってき推薦候補者のビラの端に領収した旨、党支部と走り書きしてよこした。 そして、ありがとうと言って暮れなずんだ闇に消えた。
私は、千円が惜しいのではない。心ならずも払わされることが悔しいのである。嫌だなと思いつつも相手の真摯な態度に押し切られる自分がいまいましいのである。
私は、共産党が嫌いである。どこの党よりも一生懸命なのは認める。赤旗の日曜版を読むと、よく調べてあっていい加減なことは書いてない。大新聞に出ないことが書いてある。やがてそれを追っかけて大新聞が記事にするという事例をここのところズーと見せられてきた。
しかし、その反面で、人間のルーズさというかあいまいさを、一切認めようとせず、許さず、自党の見解のみが唯一正しいとするような独善性がたまらなく嫌なのである。
恐らく、共産党が、政党助成金を受け取らず党費と、新聞の売り上げと、カンパだけであれだけの活動をしているというのに、支持率がいぜんとして2~3%を超えられないのは、私同様に感じて居られる方が多いからではないだろうか。
だが、さればといって自民党はもとより、今やその揚げ足取りにのみ汲々たるかにみえる民主党にも肩入れする気になれない。
まさに無党派の一人となってしまったのだ。
国会議員衆参合わせて、800人近くもいらっしゃりながら、どうして、自分たちは、この国の将来はもとより、世界人類全体や地球環境・資源との関係をこう考える。そのためには、国際関係、財政、教育、福祉、司法、国・地方の行政執行体制等を、どうしていくのかの理念と実現可能なトータルな方策を提示する、真に国民本位の政党が何故出現しないのだろうかというもどかしさである。
そのような真に信頼できそうな党が出現したならば、相応のカンパだって喜んでこちらからしたくなると思うのだが…。
冒頭の彼氏は、70歳になるというのに、何やかやで毎月党に差し出すお金は1万円になるとか。それでなおかつ、カンパをつのって暑いさなかをものともせずに、日々忙しく歩きまわっているのである。
彼は、決して盲目的に党について歩いているのではないと言っている。そんなロボットになるのは嫌だといっている。党の集まりでも言いたいことは言うそうだ。
それにしても、現在の政党助成金制度は、なんでもかんでも一定の数がまとまり、そこそこの集票ができれば、国会議員閣下として、なんとかのらりくらりと生き延びていける、最低生活か最高生活水準かはしらねども、一定の保障を与えてしまっているところに、大きな制度的弊害があるのではないだろうか。
こんなぬるま湯制度の中では、真に国民の暮らしに根ざした声を汲み上げようとする真摯な党など出てくる筈もないのではなかろうか。
人間は、悲しき性(サガ)か、生活が保障されたところから、怠惰と堕落の道を転がり落ちるようである。それは、芸術家も政治家も、公務員も会社員も、…皆同じようではないか。
恥ずかしながら、山家の隠居も、いまいましくも国策捜査のとばっちりかのライブドアショックで、なけなしの財布が空同然になって初めて、初心に還って、絵描きに専念できるようになった。
ところで、7月29日の参議院選挙。一体誰に、どこの党に投票すればいいのだろうか。
と、思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか。
さて選挙です。
自民党のマイナス要因がこれだけ出揃ってまた自民党が「勝つ」ようならば処置なしという気がします。
国会では数にまかせて何でも通してしまう自民党。
とことん議論をつくすことをしない姿勢は見ていて下品な印象です。
共産党については蛾遊庵様と同じように感じます。
遊びの部分が全くないハンドルのような。
今度の選挙は消去法でいくしかない、と思います。
ところで、<自民党のマイナス要因がこれだけ出揃ってまた自民党が「勝つ」ようならば処置なしという気がします。>とのこと。
残念ながら、こういうときの受け皿であるべきはずの民主党が、今のように国民に食指を動かしたくなるような、将来への明確なヴィジョンを、示せないならば、またぞろ、そこそこ与党が勝ちを収めるのではないでしょうか。
<今度の選挙は消去法でいくしかない、と思います。>と、頭では分かっていても、中々難しいですね。