蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

BSアーカイブス ハイビジョン特集「零戦~栄光と悲劇の航跡~」を視る

2011-08-16 14:11:45 | 日常雑感
8月16日(火)晴れ。33度

  午前10時頃か、遅い朝食をとりながら、何気なくTVのスイッチを入れたら、この番組をやっていた。太平洋戦争といえば、原爆と同じぐらいに頭にイメージする「零戦」。日本軍が誇るいかに優秀な戦闘機であったことか…。子供の頃からその伝説が焼き付けられている。

  その優れた特性について、今も健在な元パイロットや整備兵だった人々が、こもごも語る。敵側のアメリカ空軍のパイロットの目からの証言。興味深く聴いた。

  しかし、零戦が誇る戦闘機としての飛行性能は操縦者であり戦士たる搭乗員の身の安全や機体そのものの防御性能を徹底的にそぎ落として得られた結果だという。
  これに反して、アメリカは零戦に対抗できる機種開発にあたり、搭乗員の身の安全や機体そのものの防御性能を徹底的に高めた上での機能性を追及したものだったという。
  その結果、戦争前半こそ優位を誇った零戦も後半戦では、その無防備性が仇となって、新規に開発投入された米軍戦闘機の餌食となり、終には爆弾を抱えさせられての特攻機として、人間爆弾と化して滅び去った。
そこには、日米両国家の国家体制に基づく国民に対する考え方が根本から違ったところにあったことを思わせられる。
  方や民主国家。方や天皇を親と敬い国民を赤子と子ども扱いする国家。赤紙一枚、「お前ら1銭5厘だ」と言い放って恥じない下士官の跳梁跋扈する旧日本軍。


  これもまたやりきれない思いにさせられるあの戦争の一断面史だ。
  視ていて思ったのは、ミッドウエー海戦で日本海軍は壊滅的な敗北を喫しながら、何故負けたのか徹底的に検証していなかったのではないか。

  そしてラバウルで山本長官機が待ち伏せ攻撃で撃墜された際ににも、それが何故なのか、その原因、こちらの側の情報漏れ、暗号漏れを露ほども疑ってみなかったのだろうか。
  日米開戦時から、米国側は日本の暗号電文の即時解読に成功していたという。
  戦争にあたり基本中の基本ともいうべき情報管理にすら、日本はお人よしで間が抜けていたということだ。つまりは端から客観性合理性を失っていたということだ。

  そして、とどのつまりは、現時点での後智恵と云われてしまえばそれまでだが、本来ならばミッドウエー海戦で負けた時点か、遅くとも山本長官を失った時点で、アメリカに降伏していれば、あれ程国土を焦土と化し、原爆の惨劇を見ることも、恐らくは3百万もの戦争犠牲者をだすこともなかったのではなかったか…、との思いである。
 
 だが、無謀な戦争を仕掛けえた当時の指導層には、ここで戦争を止めようという勇気も判断も持ち合わせていなかったことだ。
 むしろ当初からあのような無謀な戦争を始めた一連の指導者に、賢明な戦争終結を求める事自体が適わぬことだったということだろうか。

 零戦の最後、特攻作戦命令の愚、その愚かな命令を国家の使命として突撃して征った英霊の方々の無念さはいかばかりだっただろうか…。

 国家の方策、政策を誤ったと認識した時点での、そこからの回避する勇気。国家指導者に何よりも求められることではなかろうか。

 今、また原発事故で、今後いかに原発に立ち向かうのか、国家指導者の政策判断はもとより、国民一人ひとりの賢明な思慮が求められているのではなかろうか。

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